先日の兆楽の藤山光男さんの取材に続き、今回はお兄様の藤山雅朗さんを取材しました(取材日2021年9月)。
藤山雅朗さんは渋谷に来た人は必ず見たことがあるであろう「三千里薬品」のオーナーさんです。
そう、スクランブル交差点に面して2店舗ある、あの赤色の看板のくすり屋さんです。
渋谷駅前徒歩1秒 誰もが知っているあのお店
MAGNET by SHIBUYA109の角にある三千里薬品(神南店)ができたのは1962年(昭和37年)。
実は今のくすり屋さんのスタイルになる前に今の場所で違うお店を開いていました。
藤山雅朗さんの叔父さんが1952年(昭和27)に会社を設立し、「三千里食堂」を始めたのがスタートです。
その頃のお店は20坪もあり、駅前の食堂として大変賑わっていたそうです。
また藤山雅朗さんのお父様が食堂の一角で、甘栗の販売をしたのが、今の甘栗屋さんのスタートになります。
道路拡張に伴い店舗が大幅に縮小
その後、渋谷駅前の道路拡張に伴い、お店が大幅に縮小。9坪の広さになって食堂ができなくなってしまいました。
世界のフルーツでジュースを作るお店をしていたこともあったといいます。
試行錯誤をする中、世界中、日本全国飛び回って、いろんなお店を視察しました。ある時、当時大阪で大人気だった「主婦の店ダイエー薬局」(現:ダイエー)を見てヒントを得ました。
当時、薬は割引販売をしてはいけないという商慣習があったものの、その店では、大量仕入れによる安売りを武器に化粧品や日用雑貨などが狭い売り場に並べられていました。
これに倣って、「ハチ公前のくすり屋さん 三千里薬品」として1962年(昭和37年)に再スタート。
創業当初は、「一品でも売る現金問屋」として表看板に商売をしていたといいます。
今でこそ、安売りを謳い文句にしているドラッグストアが全国に広がりましたが、創業当時はなかなか世間から受け入れてもらえなかったそうです。
それでも、ずっと大事にしていたことは、実直なまでのお客様目線で、お客様に安く売ること。
その後、ビルの開発に伴い、宇田川店(西村フルーツパーラーの横)にも店を広げました。
そうして渋谷の顔ともいうスクランブル交差点の両方にお店を出すことになりました。
スクランブル交差点周辺は賃料も高い大人気のエリア、この交差点に面して2店舗も展開しているのはすごいことです。
渋谷の街の移り変わり
その後59年間、一貫してくすり屋さんを続けて来ましたが、渋谷の街の発展に伴い、お客様の層も変わってきたといいます。
昭和60年ごろまでは年配の方が多く、自分の健康のために、高麗人参のように高くてもいいものを買うお客様が多かったそうです。
平成になり、バブルの頃になり、街にも若い人が増えるに従い、お店の売れ行きも化粧品や雑貨に移っていったそうです。
渋谷の街の好きなところ
今後渋谷がどういう街になっていってほしいか聞いてみました。
渋谷には、最先端のもの、流行っているものが集積している街というだけではなく、もっと地場のものや人を大切にした街になっていってほしいと言います。
これからの生活や、時代を見据えて、本当に必要なものや心も体も健康になるものが集まるそんな街になってほしいと思うとのことです。
そして最後に、渋谷の街の好きなところを聞いてみました。
いろんな人の発信が自由にできる雰囲気があるところ。若い人が何か発信したいと思う人が渋谷に集まって来ます。その雰囲気を無くさないでほしい、それが渋谷の一番の魅力だとおっしゃっていました。