自分の美徳を信じ続けて、オリジナリティに。映画監督長久允さん(後編)

6月28日から渋谷シネクイントで2週間限定上映されている、「そうして私たちはプールに金魚を、」「蟹から生まれたピスコの恋」の脚本家・監督である長久允さん。前編は作品に込めている想いについてお話しいただきました。後編はもう少し専門的な、構想段階から映画の形になるまでのお話を聞かせていただきます。

前編はこちら

空想が映像に

ーーいつ頃から文章を書くのが好きになったんですか?

小学生の時に、 架空のRPGのマップ書いたり、ボスキャラ設定書いたり、アイテム設定書いたりとかするじゃないですか。あれを僕はずっとやってたんですよ。ノート何冊分も、架空のゲームの設定集を作ってました。中学生の頃は、お母さんの服を借りて女装してコピーバンドするくらいで。具体的にいうと2ndアルバムの頃のTHE YELLOW MONKEYになりたくて。もう絶対見たくないけど、超ポエティックな詩とか書いてました。多分それとこれとが混ざって、パンクやジャズを通って、フランス文学に傾倒して、いまの感じになってます。混ざってよかったー。でもそういう自然な、思春期にやってた空想みたいなものが今に繋がっているんだと思います。

ーーなにか好きな表現方法はありますか?

小説も漫画も雑誌も好きです。ど真ん中で言うと、ボリス・ヴィアンというフランスの作家さんの、情報過多で取り留めのない感じがすごい好きです。デビュー作は、自分を黒人と名乗って黒人を差別する小説を書いて、それが炎上して。でも黒人じゃなかったですって言ってさらに炎上する、みたいなことをされてた方で、アウトなやり方ではありますが世間というものにアプローチしながらも、表現の開拓を色々されてたりする方なんです。社会や常識に対するアプローチの仕方を文字や音楽でやっていく。想像力でやっていくみたいなスタイルはすごい尊敬するなと思ってますね。好きな表現方法についていうと、もちろん色々あるのですが、今ふと思いつくもので言うと「走馬灯表現」でしょうか。僕の映画に走馬灯が多いのは、とにかく情報処理できないスピードが好きだからです。情報が処理できないことがすごい好きで、情報過多が好きだから。走馬灯のスピードってギリギリ処理できないじゃないですか。でも、1フレームでも伝わるものがあったりするから。そういう、ついていけないヒートアップ状態を作りたいっていうのはありますね。

その上で、僕がなぜ映画で表現しているかというと、メッセージが伝わる加減と、時間耐久性がすごく長い。100年後もメッセージが伝わるみたいな。化石性っていうか、耐久性がすごい好きです。ちょうど言語化できないことが伝わっていくことがいいなとも思ってたりします。

作品の軌跡

ーー映画の作り方について教えてください

僕はその作品に取り掛かる一番最初にエンドロールの曲を考えるのから始めます。僕がエンドロール見てる時間がすごい好きなので、映画を観てるお客さんが、どういう感覚を、どういうエモーショナルさを持ち帰ってもらえるかっていうのは、結局エンドロールだなって思ってたりします。「蟹から生まれたピスコの恋」は、まずエンディング曲書いた後に、この感じいいなっつって頭からバーっと書いて、ゴールした……! って感じ。エクササイズに近い感じがします。

「そうして私たちはプールに金魚を、」で言うと、ああいうブリブリののテクノサウンドで南沙織さんや森高千里さんが歌ってきた「17才」という楽曲をやっていくっていうのがいいなと思って。こわばった中指だけが立ってる感じが。当時、僕が会社辛いな〜って時に救われてたアーティストの、NATURE DANGER GANGさんに作ってもらいました。その方たちのところに行って「初めまして……作って欲しいんですけど……」って言って、と言うことから映画がはじまったって感じですかね。

そこから、誰が言ってもいいという感じで、セリフだけをとにかく書きます。それをキャラクター別に起こして、登場人物別に分けていくっていうスタイルだからキャラクター性や設定とかは後でつけていく。セリフ自体は、キャラクター別に書き始めてはいないんです。

名前の半分はなんとなく語感で自然につけて、半分ぐらいは脚本書いていくうちに、「あ、これはやっぱりヒカリであってほしいな」っていうことで、全部ヒカリに戻そうってヒカリに変えたりとか。
「蟹から生まれたピスコの恋」で言うと、最初に語感でタイトルを「蟹から生まれたピスコの恋」って決めて。「ピスコだから、なんかうまく蟹で……ピスコ……ピス……ピースいけるな!」って。だからピースは後付け。じゃあこの設定にしてみよう、じゃあこのラストになるな!じゃあピスコでよかったんだな、みたいな超奇跡が起こる。そういうことが、脚本ごとぐらいに起きます。ここのBGM決めなきゃなって時にちょうどシャッフルで流れてる曲いいなって思って、この曲の元々のイタリア語の原文調べたらめっちゃ意味あってんじゃん! みたいな。そういうことが起きた脚本はめっちゃはねるなと、思ったりしてます。そういう、こじつけていく能力みたいなのは、広告プランナーだったり、コピーライターだったりして働いてたから得たものです。1つの単語に対するイメージ・単語の広がりを1000個ぐらい、ばーっと書ける。それの繋ぎ合わせが物語になる、道が見えるみたいな感じです。

ーー作品を作るのに、どのくらいの時間がかかるんでしょうか?

「蟹から生まれたピスコの恋」は脚本を数日かけてばーっと書いて、コンテを終えるのに1週間くらいかかったかな。 ロケハンは1日で、行った時に全部iPhoneで撮って割って。撮影も、「蟹から生まれたピスコの恋」は1日でやりました。時間とお金がなくて(泣)。 本当に演者の皆さん上手だから、大体ワンテイクで「オッケー! オッケー! オッケー最高!」ってやって。 あんまりお金がなかったから、余裕もない。だからこそ逆に、アングルはバチっと決めていかないと間に合わないから全部決めていきました。編集も、2、3日で全部やっててっていう感じですかね。

この作品はホームビデオみたいなカメラ、1種類で撮りました。ホームビデオだと、あんまりライティングが気にならないから簡易的なもので、 時間優先で撮りました。時間優先を取るために、ホームビデオっていうカメラを選択するみたいな。でも内容にも合致した表現だからむしろ最高! と言うジャッジです。あれは大変でしたね。ほんと加納さん(ピスコ役)たちだからできた感じですね。撮影スタッフも「そうして私たちはプールに金魚を、」で一緒にやったメンバーとほぼ一緒でした。あの時は初めてだったので、10日間撮影している中で僕はこういうこと言ってんのかな、ってみんなで考えてもらうという手探り状態でした。数年経って、「蟹から生まれたピスコの恋」をやった時に、あれぐらいの分量を1日で撮りきれたのは、あの時のメンバーだからだなと本当に思いますね。もう意思疎通が完全にバチっとキてるから。「はい、ここズームして!」みたいなのが「わかってるわかってる」って感じでやれる。本当に変わったスタイルで作るから、新しい人と、特に既存の映画の概念が固まった方とだといちいち喧嘩になるというか。けど、そういうことがない、ファミリーでやってく意味はあるのかなと思います。

脚本と音、そして映像

ーー脚本を書く上で、なにか意識していることはありますか?

脚本の書き方として、高校生だから、15歳だからこういう風な感情を持つんじゃないかみたいなことは考えないようにしています。女性だからとか、男性だからとかも考えないようにしてて。「そうして私たちはプールに金魚を、」で言うと自分が今思っていたり、当時思ってたことで、自分の感情に近いもの。友達に対してとか、学校を辞めたいとか、ここが嫌だとか、ジェンダーに対してとか、なんかそういうことを含めた感情。先生と生徒が付き合うことに対してどう思うかみたいなことか。「蟹から生まれたピスコの恋」で言うと、教師との恋愛は、今思えばグルーミングなんじゃないかみたいなこととか含めて。誰かに憑依して書くというよりも、自分が言ってる言葉としての責任が取れるラインで書かなきゃいけないっていうことは思っています。「そうして私たちはプールに金魚を、」は、埼玉の狭山市で起こった実際の事件を元にしてて、他の場所にずらすんじゃなくて、その場所で描きました。そこで取材して、実際に事件の子たちが通ったであろう道とか、遊んでたゲーセンとかで実際撮影しました。その上で、どのセリフも自分が言っても嘘じゃない、ということに気をつけて書いたことを覚えています。映画にそういう作家はあんまりいないと思うんですけど、僕はそうじゃないと、ちょっと気持ち悪くて。

もちろん8年前に書いたものだから、今の自分からしたら許せない描写も多いのですが、あの当時の自分としては正しいと思ったことを素直に書いていると思います。ただやはり映画を撮るということを甘く考えていたと反省しています。今なら、絶対にラストの「サービスショットです」と言うシーンは撮らないと思っていて、それは小説という実際の被写体のない表現媒体だったら問題ないと思うのですが、撮影という行為は加害性が強いので、当時未成年だった彼女たちに脚本上意味があったとしても、あの程度だとしても性的な眼差しを強要させたことになるので後悔をしています。その反省を忘れずに常に強く意識してものづくりはせねばと思っています。

ーーセリフやナレーションのリズム感が印象的ですが、なにか理由はあるんですか?

映画を死ぬほど見てきてるから、その中で自分の好きなリズム感とかテンポ感とかで、リズムや音としてイメージしながら脚本化していくという作業をしています。ここまで喋ったら長いかなとか、こっからぽんとビジュアルとしていいシーンに行った方がいいなみたいな。全部セリフを書いたものを、スタッフとか僕とかで全部読むんですね、音として。読んだら、耳としての体感の「あーちょっと長いな」とか「あーいやもってるもってる!」とかが分かる。音にしたところで、 じゃあここ切ろうとか、ここ伸ばそうとかをやってくっていう感じです。音で構成をガチっと作っていくっていう工程ですね。

ーー言葉、音のこだわりはもちろん、映像の特異性も長久監督作品の大きな特徴のひとつだと思うのですが、アングルはどのように決めているのでしょうか?

脚本は結構素直に言葉先行で書いていって、その言葉の意味を一番最適に伝えるアングルは何かな、と考え始めます。僕は空中のなにもないところにカメラがあるのがちょっと気持ち悪くて。そんなとこに目線ってないじゃんって思うんですよね。空気目線? みたいな。人物越し撮ってるのって、見てる人が位置関係を理解しやすくするためであって、セリフや心理を伝える意味合いじゃないから気持ち悪いなと思っちゃいます。逆に、僕は物にも目線があるんじゃないかというのを自然に思ってたりするから、この目の前のコップに目線があって、そこから見てるみたいなので言うと理解できる。セリフごとに、そのセリフに適した距離感とか、口のヨリがいいのかとか、もっとヒキがいいのかとか、天井からがいいのかとかは、そのセリフの意味合いの伝えたいレベルによります。それで、アングルをロジカルに、数学的に決めていく。これはすごい客観的に伝えた方がいいセリフだなって時は、遠い場所にカメラを置くべきだなみたいな。でも、エモーショナルに寄るべきだなって時は、手元に置くべきだなとジャッジする。その時、よりどころの物体がその人を見ているっていうのは、自然にカメラを置けやすい。

「そうして私たちはプールに金魚を、」はある種、グロめにグロめに撮っていくことで、 彼女たちの感情の美しさとグロさみたいなところのバランスが取れていく。近ければ近いほどグロくなったり、見にくくなったりしてるけど、それこそがそのままの姿っていうコンセプチュアルであるから、気にせず追ってるって感じです。だから、全部意味付けで。かっこよさとかじゃなく、 何を伝えたいか。だから結局自分の何を伝えたいか全部自分に返ってくるから決めやすいです。

これからの映像表現

ーー色んな映像表現が生まれている現代で、これからはどんな表現をしていこうと考えていますか?

意外と、新しい革命的なことしようと意外と思ってなくて。70年代、80年代の日本映画もすっごい好きなんです。そこでやられてた物語の仕方とか映画のあり方がめちゃくちゃ面白かったのに、今全然やられていないから、 今それをちゃんとやった方がいいんじゃないかっていうだけにすぎないです。その頃のことを今やろうぜって旗をあげなきゃなっていう感じなので、あんま気負ってないというか。逆に使命感はあります。だからと言って、新しい表現に対してクローズドではないです。AIとか3DスキャンとかゲーミングCGとか、全然使えばいいじゃんと思ってたりはしますけど、それは新しい表現をしたいから使いたいって感じじゃなく、伝えたいことと合致してたら形態にこだわらずガンガン使ったらいいよねって感じです。

結局数字化した時にバズってるかどうかが共感になっちゃうから、今はみんながわかるものが中心になっちゃってるけど、もうちょっと前に引き戻せないかな、みたいなことを思ってます。ハンディカムでも全然感情が取れるんじゃないか、 話と関係なくラストに曲があったっていいんじゃないか、みたいな。元々映画ってノールールだったはずだから。全部第四の壁で喋ってたらいいんじゃないかみたいなこととか、そういうことをしてます。

ーー最後に、これを読む渋谷の人々に向けてメッセージをお願いします。

今の若者たちには本当に好きなことやってればいいだけ、と伝えたいです。本当に心からそう思います。物理的に他者だけは傷つけずに、自分が面白いと思うことを、人の目を気にせずにやることが今後の人生にとって最も大事なことだと思います。皆さん、やっていきましょう!

インタビューを終えて

なんでもない日常のふとした瞬間に思い出す、そんな映像を作り続ける長久監督。これまでも、きっとこれからも私たちの心の隙間に入り込んでくるような感情を、作品を通してご自身の言葉で伝えてくれます。まだ映画を見ていない人がいたら、渋谷シネクイントまで金魚をビニール袋に詰め込んでお越しください。(だめだよ!)

最後に
「引き寄せた 言葉を求め奇を衒う 心を込めた愛より先に」

◾️長久允

東京都出身の映画監督、映像作家、脚本家。2017年、短編映画『そうして私たちはプールに金魚を、』が第33回サンダンス映画祭ショートフィルム部門のグランプリを日本映画として初受賞。それに続き、「蟹から生まれたピスコの恋」はサンダンス映画祭2024短編部門審査員特別賞(監督賞)を受賞。

◾️長久允監督短編映画2本だて上映「そうして私たちはプールに金魚を、」「蟹から生まれたピスコの恋」

期間:2024年6月28日(金)~7月11日(木)
場所:渋谷シネクイント
チケット:シネクイントチケット予約サイト

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