渋谷が育てたオールマイティ!白鳥実藍

白鳥実藍(しらとりみらん)さん18歳。

原宿表参道新聞の編集長である彼女は、在籍した工業高校では生徒会長を務め、またプライベートでは、ラジオディレクター、ピザ屋、ウェディングスタッフ、また、アイドル・メイドカフェ・お笑い芸人オタク、セクシャルマイノリティ(以後セクマイ)など様々な顔を持っています。
今回白鳥実藍さんを取材した私、組谷惟叶は彼女の趣味の1つ、メイドカフェのオタクとして出会ってから4年が経っていますがまだまだ謎ばかりです。
そんな私も知らなかった白鳥実藍の多彩な人生の一部をこの記事でお伝えできたらと思います。
※年齢、肩書き等は2024年6月現在のものです

沢山のインプットをした幼少期

ーーまずは簡単な自己紹介と幼少期からのことについて教えてください。

白鳥実藍、2005年6月15日に生まれて春から大学1年生になりました。
幼少期からいろんな習い事をしていました。詩吟、 剣舞、習字、水泳、ピアノ、合唱。
その中でも一番頑張ったのが合唱(NHK東京児童合唱団)ですね。
当時、埼玉から練習のために渋谷まで通っていましたが、通うのが大変だったため、小学3年生の時に合唱団に通うために渋谷に引っ越してきたくらい。
小さい頃から歌うのが好きで、それを見ていた両親が入れてくれたのがきっかけです。
合唱団ではずっと学年のチーフをしていたけど、中学2年生の時に200人くらいをまとめる全体チーフに就任して。そこで生徒会長や学年長をできるリーダーシップを培うことができたと思います。

中学生で一番印象に残ってるのは4対1事件。
ずっと5人組で仲良しだったのに、3年生のクラス替えで私1人だけ2つのクラスのうち別のクラスになりました。先生に頼んでもクラスを変えてくれるわけなくて(笑)
絶望してめちゃくちゃ泣きました。
あと、中学校の3年間通っていた代々木アニメーション学院のアイドルスクールが本当に楽しかったです。
私はアイドルになりたい気持ちはなかったですが、周りには、オーディションとか受けて、アイドルになった子もいて、そんな子を見てすごいなって思ってました。
キックボクシングも同時期にやってて、腹筋を割るのにハマってました。
いろんな習い事をしてきて、器用貧乏で色々できるけど、特別何かすごい突出してないみたいな感じでした。結果的に楽しみを見つけられたものはずっと続けられてました。

ーーこの頃と今を繋いでいる活動は?

中学3年生の時に学校で配られた『まなぶや』のチラシを親が見て、勧められて参加したことがきっかけで、鈴木大輔さんに出会い今の活動に繋がっています。
この頃の『まなぶや』は全部オンラインで行っていたということもあって、最初は参加するのが本当に嫌で。
でも、渋谷に住んでる参加者が私しかいないこともあって、大輔さんに結構事務所に呼ばれて、周りの大人の方が可愛がってくれたのが嬉しくて。最後は自分でも楽しいと思えたし、今の活動に繋がってるから参加してよかったと思ってます。

ーーなんで工業高校に入ったんですか?

中学の時から勉強が苦手でテストの点数とか伸びなくて、高校はどこに行く?ってなった時に、単純に入ることができる高校に行くよりも、手に職がつけられる高校の方がいいねってなって。商業よりも工業の方が女の子が少ないから特別感があって重宝されるかなって考えた親に勧められました。
高校でも生徒会にも入りました。初めは先生に誘われて入ったけど、生徒会長は自分から立候補してなりました。

白鳥実藍の恋愛観

ーーいつから自分がセクマイだと気づいた?

小学生の頃かな。その頃から女性アイドルが好きで男性の芸能人を好きになったことがなかったり、合唱団の5個上の女の子を崇拝してたりして生きてて。
セクマイだと公言している美容師のあいたむさんのYouTubeを見て会いに行ってみたりして自覚しました。
あと中学生の時は男子がすごく嫌いで、同じクラスの男子の連絡先を全部ブロックしてました。
高校生になってからは、仲の良い男友達ができて段々男嫌いも無くなりました。
親にも自分がバイセクシャル(男性・女性の両性に対して恋愛感情を抱くセクシャリティ)って気づいた時にすぐ伝えました。

安定した過去・安定を求める将来

ーー将来の目標は?

私は将来みなとみらいに住みたくて、そのためにはお金が必要だから安定した職に就くことです。これといった夢がないから、安定した職で、不自由がないようになりたいです。
私の今までの人生を一言で表すと、『安定』だと思います。
周りの人の協力もあり、あまりギャンブルをしてこなかったですね。
受験に関しても、絶対受かるだろうみたいなところしか受けてないし不合格っていう経験もないし、全てに対して上を目指してないっていうのもあります。
だからこれからも安定した人生を歩みたいです。

〜編集後記〜

ライター同士でインタビュー記事を書くことが決まった際、私は真っ先に「みらんの記事を書きたい!!」と声を上げました。
その理由も、私の東京人生を語る中で白鳥実藍は3本の指に入るほど最重要人物だからです。
18歳で上京して早4年。
みらんは東京でできた最初のお友達で、趣味の話から人生相談までなんでも話せる貴重な人物です。
ですが、みらんの生い立ち、過去のことをあまり知らなかったので立候補させていただきました。
今回、みらんの取材を通し知らなかった生き方・考え方・大切にしてること・将来のことなど沢山の未知だった部分を知ることが出来ました。

この記事でみらんの良さが少しでも伝わりますように。
みらんが今後の人生、大切な人に囲まれて楽しく過ごせますように。

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