大人と学生のハシゴ役! &&フィールドマネージャー、組谷惟叶さんの今までとこれから

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&&のフィールドマネージャーであり、渋谷新聞の拠点であるspongeの所長、そしてライターでもある組谷惟叶さん。
今回取材をした私、白鳥実藍は3年前に互いの趣味であるメイドカフェで彼女に出会い親交を深め、今はオタク友達ではなく、メイドカフェのある秋葉原から電車で30分の渋谷にあるspongeで一緒に働いている同僚であり、なんでも話すことのできる親友です。
一緒にいる時間は多いものの、このような機会がなければ今になって振り返って聞くことは難しかったことを遠慮なく伺いました。

※ &&とは:行政・民間企業・生活者の三者を繋ぐ起点となり連鎖を生み出す団体(渋谷新聞、渋谷区SDGs協会、まなぶやなどの事業を行う)。

秋田県で過ごした、活発な幼少期

私、組谷惟叶は秋田県秋田市で生まれて、山の中にある家で育ちました。山の中に秘密基地を作ったり、雪が降る季節はその山が町中の雪が集まってくる雪置き場になっていたので、ソリで滑ったり、スノボもどきとかして遊んでました。鹿に襲われたこともあります(笑)。

あとはとにかく仮面ライダーが好きな子でした。女友達はみんなプリキュアなどの可愛いアニメが好きだったので、お父さんや弟とベルトをつけて仮面ライダーごっこをしていました。小学生の時、家から30分くらい歩いて、公文に通っていました。でも勉強するのが苦手だったので他の人が1時間くらいで終わるものを3時間くらいかけてやっていましたね(笑)。記憶にあるのが、一緒に通っていた弟がまだ小さかったので歩くのが遅くて、それにムカついちゃって置いていったんですよ。そうしたら弟は道もわからないので迷子になってしまって、家族みんなに迷惑をかけて私はすごく怒られました。苦い思い出です。

思春期の、部活と勉強の両立

中学校では剣道部に入りました。元々剣道に興味はなかったんですけど、中学生の時ラブライブが凄く好きで、剣道部の部活勧誘ポスターにラブライブの園田海未ちゃんの絵が書かれているのを見て、剣道部に入ったらラブライブが好きな先輩がいるんだ!と思って入部しました。あと顧問の先生が剣道をやっていない人だったので練習メニューも部員で決められるので楽でいいな〜とも思っていましたね(笑)

でも2年生になった時に日本で数人しか持っていない剣道の段を持ってるすごい先生が転任してきて剣道部の顧問になってしまいました。朝7時から練習して、そのまま授業受けて、放課後も部活終了時間まで練習して、土日も6時間みっちり練習してっていうやり方の部活に変わったんですよね。私は声を出すのが苦手だったから2年間ずっと声を出さずにやり通したんですけど、正直その先生からはすごい嫌われてたと思うし仲悪かったです。でも嫌われることよりも声を出すことのほうが嫌だったからそれでやり通しました(笑)

そして、勉強も頑張っていました。そもそも勉強が苦手だから人一倍やらないと点数取れないので、テストの1ヶ月くらい前から計画的に進めてました。テスト勉強は割と楽しくて、やったところはチェックをつけて消していくのが快感でした。高校受験での志望校は周りからは落ちるから諦めなと言われていたけど、毎日塾に通って努力して、無事に合格することができました。

高校では幼稚園からの幼馴染に誘われてソフトボール部のマネージャーになりました。元々身体が弱いので、マネージャーなのに選手よりも熱中症になる回数が多くて、半年くらいでやめてしまいました。高校で頑張っていたことは本当に勉強ぐらいですね。

18歳、1人で秋田から東京へ

おばあちゃんが保育士だったので、それを見て育ってきたから小さい頃からずっと保育士になりたくて、そのために大学に行こうと思っていました。でも学力的に厳しいことが分かって、保育士の夢を諦めていた時に、Instagramに東京にあるマネージャーの専門学校の広告が流れてきて、昔から芸能に興味があってマネージャーをやりたいと思っていた時期があったことをその時に思い出しました。親に相談したらやりたいことはなんでもやりなさいと言ってもらえたので、1人で上京して専門学校に行くことになりました。

ですがお金の援助は一切しないというのが条件だったので、学校にあった新聞奨学金制度という、2年間新聞配達をしたら学費を払わなくて良いという制度を利用することにしました。寮があるので家賃無料、学費は払わなくて良い、更に給料が出るので貯金ができるという良い条件だったのですが、夜中1時に起きて朝6時まで新聞配達をし、午前中は学校、また14時から17時まで新聞配達、それにプラスしてライブ実習がある日も多いというスケジュールは本当に辛くて、結局半年で新聞配達の仕事は辞めてしまいました。

そこから寮を出なくてはいけなくなったので、他の学生寮に引っ越しをして、地元である秋田県の料理が食べれる居酒屋でバイトし、生活していました。

2年生の卒業間近は、その居酒屋と、系列店のカフェやアイドル事務所のインターン等で計5つくらい掛け持ちをしていましたね(笑)

学校では、クラス全員が仲良くて本当に楽しかったです。夏休みみんなでバーベキューをしたり、誰かの家に集まってご飯を食べたり、、、。高校が田舎で放課後友達とご飯食べに行くとかがあまりできなかったので遅めの青春って感じでした(笑)その時の友達とは今でも仲良いです。

あと私の専門学生生活はメイドカフェなしには語れないです。初めて行ったのは上京して1ヶ月くらい経った頃でした。昔から旅行で東京に来た時にアニメが好きだったから秋葉原によく行っていて、メイドカフェにも憧れがあり、友達と行ったのがお嬢様人生の始まりです。その時に案内を担当してくれたメイドさんにどハマりして週1くらいで通っていました。そこでお互い同じ店に通っていたみらん(筆者)とも出会いました。

突如告げられた、難病

専門学校1年生の頃からたまにお腹痛くなる時とかあったんですけど、2年生の5月に急にベットの上から動けないくらいになってしまって。でもお金に余裕はなくタクシーにも乗れなかったので自力で歩いて病院に向かいました。結局そこの病院では対応してもらえず、大きな病院に運ばれて検査した結果、クローン病という難病だと診断されました。普通はかなり落ち込むはずなのに、こうなる少し前にたまたまInstagramでクローン病になった人の漫画を見ていたので、あ〜あれかって割とスッと受け入れられて、こういうこともあるよな〜と思っていました。

まず総合病院に1週間入院して絶食。退院した後もうどんしか食べてはいけないというルールで、食べたいものが食べれなかったのが一番きつかったです。

でも退院した次の日にメイドカフェのメイドとボーリングができるイベントに行ったり、2回目の入院の前日も推しメンの周年イベントだったのでお屋敷にいったりとか、病気になってからも今まで通りオタ活はしていました(笑)

結局中々検査結果が良くならないということで慶應大学病院に1ヶ月半くらい入院して手術までずっと点滴打たれて絶食でした。その時なんで回復できないんだろうって悔しくて泣きました。病気のことで泣いたのはその1回だけです。食べてないから痩せたし夏は肌出しちゃおうかな〜とか、看護師さんと仲良くなってずっとお喋りしたりとか割と楽しかったですね。

あとはお腹は空かないけどこれ食べたいな〜とかはあったので、大食いのYouTubeとか見て、退院後に食べたいものをメモ帳に記録したりしていましたね(笑)結局回復した後も再発しないように食事制限があってそこに書いていたものは今でもほとんど食べれないんですけどね。病気になってから食に対する価値観は変わって、当たり前に食べたいものが食べれるのは本当に幸せだなと改めて感じました。

入院中に「はなちゃんのみそ汁」という、お母さんが癌になってしまって、もし亡くなっても1人で生きていけるように家事を覚える映画とか、難病になって亡くなってしまう子供のYouTubeとかをみて、こんなにも小さい子たちが戦ってるんだから私なんて退院もできるし全然大変じゃないじゃん!とも思っていましたね。案外強い女かもしれないです(笑)

闘病生活を終え、叶えた夢

回復後は専門学校に戻って就活をして、アイドルのマネージャーになりました。その時のやりがいはオタクの笑顔でしたね。元々自分がオタクなので推しのライブに行く喜びとか幸せな気持ちがわかるから、その人たちのためにアイドルのサポートを頑張ろうと思って日々働いていました。やりたくて始めた仕事だけど、忙しすぎて家に帰れない日もあるし休みもないみたいな生活がどうしても辛くて身体も限界で転職先を探していた時に、メイドカフェで出会った友達、みらん(筆者)に&&の活動の話を聞いて、ちょうど最近やめた人の仕事を引き継いで働いてくれる人を探していると言われて、転職をしました。

役職的にはアワーズ(&&でインターン生として所属する学生)のお世話係だね(笑)

学生と大人のハシゴのような役割をになっています。拠点であるspongeの管理とか、バーやシブヤツムギのシフトを作ったりもしています。

まだ入ってそんなに時間は経ってないけど、一番印象に残ってるのは入って1ヶ月くらいの時にやった、SIWの司会です。SIWすら知らなかったし、そもそも人前に出るのが苦手なのであんなに大きいところで司会をすることができたのは大きな成長に繋がりました。

今の拠点渋谷でも、秋田の良さを広めたい

今の楽しみは仕事終わりに友達と飲みに行くことです。渋谷にいれば誰かしら友達がいるという環境になったので休みの日でも結局渋谷にいます。あとは推しメンに会いに行くことです。推しメンに読ませるからこれ絶対書いてね(笑)

将来は地元である秋田の良さを広めたいというのと、音楽が好きなので音楽系のイベントをやりたいという二つの目標があります。あと、専門卒業後、マネージャーはアイドルしかやってないので、他のジャンルのマネージャーもしてみたいです。

インタビューを終えて

今回ゆいかの記事を書かせていただき、改めてゆいかは変な子だな〜(笑)と思いました。会うたびに話してくれるゆいかの近況は本当に面白くて、この子の周りでは沢山面白いことが起こるなとよく思っています。そんな話を聞くのが私のスポンジにくる一つの楽しみでもあります。

高校生の時、メイドカフェに通っていてよかった!ゆいかに出会えてよかった!

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