2022年、Shibuya Startup University に第1期生として採択された「coloridoh(コロリドー・粘土のように遊べておいしいクッキー生地)」代表の竹内さんにインタビューさせていただいた。
『coloridoh(コロリドー)には、私の経験のすべてが詰まっています』と、ホームページにあるとおり、スティーブ・ジョブズのセリフとして有名な、“Connecting the dots” を体現している半生。4人のお子さんを持つお母さんがなぜ起業したのか。経歴を紐解きながら紹介していく。
なんちゃって料理研究家になるまで
兵庫県出身の竹内さん。2000年頃、ソフトウェアの営業職についたことがきっかけで上京し、2003年に結婚。ドットコムバブルの真っ只中だったこともあり、ハードだった営業職は第1子を授かったタイミングで辞めた。専業主婦として家事と育児に奮闘したものの、働いていた頃のようなやりがいを感じることができず、ジレンマを感じながらも子育ての合間に家族の健康にもつながる料理関係の資格を3つ取得した。数ヶ月後、たまたま目にした大手料理教室の講師募集をみて働くことを決意。
子どもがまだ小さいからと夫には働くことに反対されたが「産んだことを後悔したくない」と説得し、家事もこれまで通り、迷惑はかけないことを条件に働き始めた。仕事は楽しかったが、2年後の二人目妊娠をきっかけに再び専業主婦に戻り、第一子が幼稚園に通い始めるとママ友ができ、“なんちゃって料理研究家” が誕生する。ライターをしているママ友を介し『超簡単・心が潤う料理』として女性誌で紹介され、“なんちゃって料理研究家” の特集が組まれたこともあったそうだ。
10年間の子育てから、再就職を決意したものの
長男が誕生して8年、4人の子宝に恵まれた。約10年、常に幼児がいる生活をしながら軌道に乗らない夫の仕事を手伝い続けた。育児と家事を全て完璧にしようと頑張ったが、経済面でも環境面でも不自由な生活が続くことに疲れ、心の余裕を失っていった。
そんな苦しい生活の中でママ友との交流はかけがえのないものだったが、夫からは「俺は仕事で疲れているのにママ友と遊んでばかりいる」と不満を言われ、ケンカも増えていったという。
離婚という二文字が何度も頭をよぎりながらも「まずは働こう」と就職活動を始めたが、ここで家事と育児に専念した10年が問題になる。
正社員として働きたいのにほとんどの募集要項は「大卒以上、35歳以下」とあり、当時40歳だった竹内さんは応募すらできない。「ずっと働きたいのを我慢して、ようやく仕事ができると思ったのに世の中は受け入れてくれないのだと絶望しました。結婚や子育てで多くのことを学び成長したにも関わらず、全てがブランクとして扱われることに違和感を感じました」そんな現状を少しでも改善するには、自分自身が影響力を持つようになればいいと考え、起業を意識し始めたという。
ちょうど同時期に夫がシリコンバレーで仕事がしたいと言い始めた。昔から海外に住んでみたいと思っていたことから、夫婦関係をもう一度見直し、家族全員で再出発を決めた。
シリコンバレーでの刺激的な生活
飛行機に預けられる1人2個の段ボールのみを持ち、誰も英語を話せない状態で渡米した。子どもたちの学校の手続きなどに追われながらも、到着から1ヶ月後には起業家向けのシェアハウスをスタートした竹内さんの行動力には驚く。
2014年当時、起業家が集まるようなシェアハウスはシリコンバレーで“ハッカーハウス”とも呼ばれ、手軽に寝泊まりができるサービスとして流行り始めていた。英語ができないながらも家賃をまかないつつ起業家たちと繋がる手段だったそうだ。
一般的なハッカーハウスは部屋を提供するだけだが、竹内さんは食事の提供もした。自身の子どもたちを含め20人弱の住人のために、毎日15合の米を炊いたという。
子育てをしながら住人の分の家事もこなすのは大変だったが、みんなの食事を用意することで、住人と家族のような繋がりを築くことができた。宗教やアレルギーに配慮することで感謝してくれたり、日本食はもちろん、様々な国の料理に挑戦した。
夕飯時には「ごはんだよ! Dinner’s ready!」と声をかけると、ダイニングにみなが集まり、会話をしながら食事を楽しんだり、クリスマスには住人が子どもたちにプレゼントを用意してくれたりと、信頼関係ができていくのは楽しかったそうだ。
アイディアは突然に
ハッカーハウスの運営は忙しいのに、経済的には楽にならない生活が約5年続いていた。アメリカという土地にもハッカーハウスの運営にも新鮮味が無くなり、起業への焦りも感じ始めていた頃アイデアは突然降りてきた。
ある日、持ち寄りパーティに呼ばれた際に手作りクッキーを焼いて持って行った。それがとても好評で、たまたま隣に座った女性が「私もクッキーを焼けるお母さんになりたい」とつぶやいたという。
彼女の子どもは食物アレルギーがあったため、一般的なレシピのクッキーは食べさせられない。話を聞いた竹内さんはアレルギーフリーのレシピを探して教える約束をしたが、なかなかコレ! というレシピが見つからなかった。
同じ頃、アメリカのスーパーで簡単に手に入る「冷凍クッキー生地」を買って試した。一般的な冷凍クッキー生地はチョコレートチップクッキータイプがほとんどで、油脂が多いため焼くと生地が流れて広がってしまう。せっかく成型や型抜きをしても焼き上がると全てが平になってしまうため、手軽で美味しいが作る楽しさがあまりなく、物足りなさを感じた。
「もっとカラフルな生地で、好きな形のクッキーを作れたら楽しいのに!」と思い立ち、カラフルな生地を探したが、いずれも鮮やかな食紅を混ぜたようなキツイ色で、アレルギー対応している生地はみつけられなかった。
「粘土のように親子で遊びながら、焼けば食べられるクッキー生地って誰もやってない!? アレルギーフリーで実現させたら私が世界初!?」とワクワクするようなアイディアと出会い、起業を決意した。
夫に相談すると反対されたが「このタイミングは逃したくない! ここからは自分の人生を歩みたい」とすぐにアメリカで会社登記をした。
開発の難しさを乗り越えて
ベジタリアンやヴィーガンといった植物由来で、アレルギーフリーというコンセプトは時流とも合い、色と味を野菜や果物で付け、健康を意識した商品なら売れる自信もあった。
クラウドファンディングで支援を募ると、様々な国から支援者が集まり応援メッセージが届いた。ところが、完成した冷凍クッキー生地を送ろうとしてアメリカにはクール便がないことを初めて知った。保冷剤を入れて送るには重量がかさみ、送料だけで大赤字になってしまうため送付を断念したそうだ。
そこから約2年の試行錯誤を繰り返し、なんとか商品としての可能性が見え始めた。特許を申請し、投資家を本格的に集めるために株式会社へ変更もした。
しかし、キャリアもコネもなく、ワーキングビザすらもない日本人女性に出資する投資家はいなかった。そこで、アメリカ在住の日本人起業家たちに連絡を取り、ノウハウを尋ねたところ、最初は日本で出資を募り、日本で実績を積んでからアメリカで資金調達したことなどを教えてくれたそうだ。
渋谷の地から“食べられる粘土” 事業スタート
コロナ禍になり、日本のセミナーやアクセラレータープログラムがオンラインで開催されるようになり、味の素と小学館のアクセラレータープログラムにエントリーしたところ、両方で優秀賞を受賞。味の素の協力を得ながら日本で開発した生地のクオリティーが高かったため、まずは日本でのローンチを決意し2021年の夏に子どもたちを連れて帰国した。
アレルゲン管理された工場を探すのは大変だったが、2022年9月にローンチすることができた。生地の色(味)は5種類、赤はいちご、黄色はかぼちゃ、青はバタフライピーという植物(味はブルーベリー)、白はレモン、茶色はココアでそれぞれ着色し味付けされている。2022年の12月にはミドリムシで有名なバイオベンチャーの株式会社ユーグレナとのコラボで緑色のメロン味がラインナップに追加された。
子育てとアメリカで経験した様々なことをキャリアに変えて起業した竹内さん。「coloridohはスペイン語のカラフルという単語を含んだ造語です。お互いをリスペクトし合える、カラフル(多様)な世界を作りたい。渋谷で主に活動しているのも、グローバルで多様性のある街だからこそ得られる情報があり、渋谷区は子育て・アート・起業などへの感度が高い街なので、積極的に関わっていきたいと思っています」と話してくれた。様々な経験をバネにしてきたからこそ今の竹内さんとコロリドーがある。
まさに“Connecting the dots” な人生だと感じたインタビューであった。これからの発展が楽しみである。
◾️竹内ひとみ 略歴
1974年兵庫県生まれ 4児のママ。Shibuya Startup University 1期生。東京都女性ベンチャー成長促進事業 APT Women 7期生。
2014年に家族でシリコンバレーに移住、起業家向けのハッカーハウスをスタート。7年間で60カ国、6,000人以上のゲストを迎えた。その経験から言葉や世代、性別を超えたコミュニケーションを楽しむツールとして、coloridohをスタート。2021年、味の素と小学館のアクセラレータープログラムに採択されたことを機に帰国。生地の改良や工場探しを重ね、2022年9月、正式に日本でローンチ。ママ起業家として絶賛奮闘中。