古民家をリノベーションした、渋谷・道玄坂のウォームアップ・バー「渋谷花魁(しぶやおいらん)」のプロデュースを務めるほか、渋谷区役所館内BGMの選曲を手がけ、幻冬舎plusでは音楽エッセイ『渋谷で君を待つ間に』を連載しているカワムラユキさん。
『渋谷のラジオ』では「渋谷の道玄坂爆音部」のパーソナリティも務め、選曲家/DJ/プロデューサー/作家として幅広い顔を持っています。
マルチに渋谷と関わり続けているカワムラさんならではのレンズを通して、過去から現在へと続く“渋谷”という街の魅力を語っていただきました。
出会いとチャンスに溢れた憧れの街
ーー渋谷区制施行90周年記念誌『渋谷区のちから。』に寄稿されていたエッセイでは、家出がきっかけで渋谷を訪れたと綴られていますね
カワムラさん(以下敬称略):
憧れの場所が渋谷だったんです。当時は1990年代後期で、ダンスミュージックが好きだったし、渋谷系の音楽が大好きだったので、渋谷にある色々なレコード屋やCD屋に行きたいなと思っていて。家出をするってなったら、一番最初に行ってみたかった場所にいくじゃないですか。それが渋谷だった。
ーーそこから渋谷で遊ぶようになったんですか?
カワムラ:
そうですね。代官山や表参道の方にも遊びに行っていました。道玄坂だったら、clubasia(クラブ エイジア)が当時できたばかりなのかな。まだ新しくて、毎週末面白いパーティーをやっていました。UKとかヨーロッパのフィーリングがあったのと、ユースカルチャーの感覚に凄く近いというか……。
同じDJが出ていても、主催者によって遊びに来る人たちのファッションや人種も違っていて、面白かったですね。
いまの代官山UNiTがある場所に「キャンドルライトクラブ」っていう場所があって、そこで「Kagero」っていうパーティーをやっていたんです。かっこいい大人ばかりが遊びに来ていて、 いろんな人に出会ってお仕事を紹介してもらったり、社会と繋がるきっかけやチャンスをいただきましたね。
当時はクラブのパーティーで遊ぶ人の絶対数もすごく少なかったと思うんですよ。来ているお客さんもクリエイティブなお仕事をしている人や、そういうお仕事を将来目指してる人が集まる、とっても濃い、素敵な交流の場でしたね。
ウォームアップ・バー「渋谷花魁」のルーツ
ーー「渋谷花魁」はどのような経緯でオープンしたのでしょうか?
カワムラ:
その後1998年ごろから2002年ぐらいまで、チームでイベントをやり始めたんです。年間200本ぐらいのイベントをやったかもしれない。そうすると遊びに来ている人と仲良くなったりしますよね。
その時に出会った、渋谷で不動産会社をやっている仲間と、スペースデザインの会社をやっている仲間がこの物件を見つけてきて「ここをなんとかしたいんだけど、やってくれないか」と言われて「ちょっとやってみようかな」と「渋谷花魁」を始めたんです。
大変だろうなと思ったから、なかなか始めるまで踏ん切りがつかなかったんですけど、まあ、 作った後はもう一生懸命育て続けなきゃいけないから、まるで子育てのように頑張りましたね。
ーーウォームアップバーというコンセプトにはどのように行き着いたんですか?
カワムラ:
いまでこそウォームアップバーやミュージックバーというようなジャンルがありますが、当時は全く前例が無かったんです。でも、不思議と「これは絶対ニーズがあるだろう」と思っていました。
というのも、海外をいろいろ経験した20代の頃に、クラブへ行く前に集まるようなカジュアルなバー・スペースにスペイン・イビサで出会って、そこでの独特な盛り上がりを体験していたんです。
そこではゆっくりお喋りができて、程良く音楽もかかっていて、お酒も飲める。出勤前のDJやダンサーも遊びに来ていたし、年齢を重ねてクラブに行くのは体力的にきつい方や、子育て中の方たちも遊びに来ていて、とても面白かったんです。
なので、そういうスポットがあったら良いなと思っていたし、自分や周りの仲間たちもクラブとの接し方が変わってくる時期だったので、そういう場所が必要だと思って、「渋谷花魁」を作ってみたんです。そうしたら、やっぱりうまくいきました。
夜をちょっと楽しくしたい
ーー少し話が戻りますが、海外でイベントやDJをやられているときに、そのまま拠点を海外に移そうとは思わなかったんでしょうか?
カワムラ:
海外でやろうと思ったこともあるけど、やっぱり日本が好きだったし、渋谷が恋しかった。子供の時に憧れた場所だから、 逆に海外で出会った友達が日本に来た時に「こんな面白いところがあるよ」って案内できるようになったらいいなと思って。そういう意味で、渋谷花魁みたいな場所があるのは良いですよね。
ーーでは考えて決めたというより、気づいたら渋谷が拠点になっていた
カワムラ:
やっぱり渋谷が私にとって「運命」だったんですね。人はやっぱり出会いでしか変われないじゃないですか。出会いに導かれて、その人の決められた場所に辿り着く――。私にとっては、渋谷が決められた場所だったんだなと思います。
『人生をいじくり回してはいけない』という水木しげるさんの本があるんですが、私の場合は好きな音が鳴る方に歩いていっただけだと思いますね、本当に。
たくさん友達が来てくれた賑やかなホームパーティーで、 隅っこのキッチンで、一人で皿洗いしてる時が一番幸せなんですよ、私。人見知りで、寂しがり屋だけど一人が好きなので、そのぐらいの距離感が私にとってちょうどいい。
DJもそうですよね。選曲していると、そこは一人の「空間」じゃない? でもみんないる。そういう習性が、そのままこの業態に繋がりました(笑)。
ーー確かに渋谷というか、都会ってそういう要素がありますよね。一人でもいられるし、みんなでもいられる
カワムラ:
そうなんです。“街の灯は 都会の福音”と土岐麻子さんが「City Lights」という曲で歌っていますね。
ーー「渋谷花魁」も来年13年目になりますよね。今後渋谷でやっていきたいことはありますか?
カワムラ:
この閉塞感に溢れた時代で、いろんな辛いこともいっぱいあって、暗いニュースばっかりのなか、 夜ぐらいはちょっと楽しくしたいよね。大笑いじゃなくてもいいから、ちょっとでもいいから笑い合いたいし、気分良くなりたいじゃない。素敵な出会いもあったらいいですよね。
そういうことを、ちょっとでも、一個でもいいから、片隅から作っていきたい。それに対して何かできることがあるのであれば、やりたいなと思っています。みんなに笑ってほしいな。遺言みたいだね(笑)。
◾️カワムラユキ 略歴
渋谷を拠点に活動中の選曲家/DJ/プロデューサー/作家。
98年よりフリーランスのプロデューサーとして、ヨーロッパのダンス・ミュージックのプロモートや、ファッション・イベントのディレクションなどを担当。2000年から選曲家、作家としての活動をスタートする。
2003年頃より「Love Parade Mexico 2003」IBIZA島「amnesia」パリ「Batofar」松本市「りんご音楽祭」江ノ島「夕陽と海の音楽会」「FreedomSunset」東京「渚音楽祭」長野「MOVEMENTS ONENESS MEETING」福岡「明星和楽」など、国内外のフェスやパーティにDJ出演。
その後は「DRESS CAMP」や「Louis Vuitton」など、ファッション・ショーやパーティの音楽演出、「inner Resort」コンピレーションCDシリーズの監修、SpotifyやLINE MUSIC公式でのプレイリスト公開など、「バレアリック」や「チルアウト」を軸に独自の選曲感を展開。
また、作詞家や音楽プロデューサーとして「バクマン。」「NARUTO」「鷹の爪」「うーさーのその日暮らし」「Aチャンネル」「ラグナロクオンライン」「DOMOBICS -どーもびくす」(NHK WORLD)「SEX and VIOLENCE with MACHSPEED」(日本アニメーター見本市)などアニメやゲームの主題歌、Sam Smithのグラミー賞受賞曲「ステイ・ウィズ・ミー」、「Dance Dance Revolution」にカバー・バージョンが起用されたLondon Elektricity feat.AMWE「ロンドンは夜8時」の日本語詞など、多くの作品を手掛けている。オープンワールドRPG 「Cyberpunk 2077」では、第25回文化庁メディア芸術祭エンターティメント優秀賞を受賞した。
著者に「アスファルトの帰り道」(ソニー・マガジンズ)写真詩集「あなたの水になりたい」(瑠璃光)など。
現在は、幻冬舎plusにて音楽エッセイの連載「渋谷で君を待つ間に」をスタート。毎月第一木曜14時~渋谷のラジオ、毎週月曜21時~http://block.fmにて選曲とナビゲーター、毎週日曜26時〜bayfm、渋谷区役所の館内BGMの選曲を担当中。
東京オリンピック、パラリンピック TOKYO2020、フェンシング会場の音楽演出、2022年はアートパラ深川の清澄庭園の会場展示、移動型ミュージアムの音楽監督を担当する。
タイミングと勘と縁に従うまま「ことば」「音楽」「景色」を、日々繋ぎつづけている。
Twitter&instagram @yukikawamura821
Official Site https://fkg.amebaownd.com/
◾️渋谷花魁
〒150-0043 東京都渋谷区道玄坂2丁目22−6
TEL 03-5456-8782
OPEN 18:00~
CLOSE 不定休
Instagram @oiran_shibuya