すべての子どもと先生の“ウェルビーイング”を目指す渋谷区の取り組み 渋谷区教育委員会 篠原さん、竹澤さん、松村さん

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ChatGPTをはじめとした生成AIの登場、スマホの低年齢化など、目まぐるしく変化していく時代にあわせて、日本の教育も大きく変わろうとしています。
「令和の教育改革」として、子どもたちに「1人1台」のタブレットと学校に高速回線を用意した「GIGAスクール構想」という言葉を、ニュースなどでお聞きになった方も多いのではないでしょうか。

渋谷区ではこうした時代の変化にいちはやく対応し、2017年から、渋谷区立のすべての小中学校に1人1台のWindowsパソコンを配付し、デジタルを活用した取り組みを進めてきました。渋谷区在住の一児の母として、そして教育ライターとして全国の学校を取材してきた筆者が、渋谷区の最新の教育の取り組みについて、渋谷区教育委員会事務局の篠原保男さん、竹澤悠人さん、松村信之介さんにお話を伺ってきました。

ハチ公のスタンプで毎日の気持ちを伝える

朝、登校した渋谷区の小学生たちは、自分専用のタブレットを広げて、今日の気分を入力します。画面には4種類の可愛らしい渋谷ハチ公(SHIBUYA♡HACHI)のオリジナルスタンプが用意されていて、現在の気分に合ったスタンプを押すことができます。
授業では、一人ひとりが自分の目標を設定し、振り返りをアプリに記入します。
そして1日の授業が終わった後は、授業の感想や、その日にあったことを日記形式で先生に報告します。先生はスタンプやコメントで、子どもたちに返事をしていきます。
渋谷区では、このようなデジタルを活用したコミュニケーションが、すでに始まっています。

▲渋谷区立の小中学校で試行的に利用開始している「HACHIアプリ」(児童生徒用)

これらは、渋谷区独自の教育データを利活用したシステムのひとつで、児童生徒用の「HACHIアプリ」のほか、子どもたちのテストの結果や毎日の気持ち、出欠の状況、クラス全体のアンケートなど、様々なデータを一元化して見ることができる「教育ダッシュボード」が、渋谷区立小中学校の全校で運用されています。
従来は、こうしたデータはバラバラに保管されているため、必要に応じて個別に見る必要がありました。けれど、ダッシュボードによって子どもたちに関するデータをまとめて可視化したことで、データの変化により子どもたち一人ひとりの様子や経過をじっくりと確認できるようになりました。
それだけではありません。生徒指導面での課題など、担任の先生が一人で対応するのではなく、他のクラスや学年の先生、さらには、副校長先生や校長先生といった管理職の先生まで、学校全体がチームとなって、子どもたち一人ひとりを見守ることができるようになったのです。
一方、子どもたちはダッシュボードで自分自身のデータを見られるほか、HACHIアプリで先生とのコミュニケーションをスタンプで行ったり、学習の目標を定め、毎日の振り返りをアプリ上で行うことができるようになっています。

▲教育ダッシュボードの画面。子どもたちは、日々の自分の生活や学習を振り返ることができます

一人ひとりの「よいところ」を見つけるツールとして

渋谷区がこうした教育データの利活用を始めたのは、2022年の10月。
「『子どもたち一人ひとりのウェルビーイングの実現』を目指すことがきっかけだった」と、渋谷区教育委員会の竹澤悠人さんは話します。

▲渋谷区教育委員会事務局 教育政策課 教育ICT制作係 係長 竹澤悠人さん

「渋谷区の教育ダッシュボードとデータ利活用の考え方としては、データに基づいて判断をするのではなくて、あくまでも子どもたちと先生との一対一の対話の時間を、より多く生み出してあげて、それを濃密にしたいということで活用を進めています。
生活の記録を見える化することで、子ども一人ひとりの興味、関心、悩みを見取って、個々の状況を踏まえた支援につなげるという目的で、まずは先生向けの教育ダッシュボードを開発し、2022年10月から運用を開始しました」(竹澤さん)
具体的には、テストの結果だけでなく、今日の気分の推移、保健室の利用状況、学校アンケートの結果、さらにはパソコンの操作ログや利用状況といった記録など、多様なデータがこのダッシュボードに集約されています。

▲渋谷区の教育ダッシュボード(先生用の画面)

データの利活用というと、「数値だけで見てしまうのでは?」と思いがちですが、点在していたデータを俯瞰して見ることで、これまで見落としていた子どもたちの「よいところ」に気付くことができると、渋谷区教育委員会の篠原保男さんはその利点を挙げています。
「複数のデータを掛け合わせることで、多様な形の可能性があると考えています。例えば、子どものSOSや課題の早期発見にもつながる一方で、その子のよいところを発見する。それまでが先生だけでなく、子ども自身も気づかなかったよいところを見つけて、見守って、伸ばしていくというポジティブな活用もできると思っています」(篠原さん)

▲渋谷区教育委員会事務局 教育DX政策推進特命部長の篠原保男さん

学校全体で見守ることで先生の負担も軽くなる!

こうした教育ダッシュボードの活用について、現場の先生方はどのように感じているのでしょうか。
渋谷区教育委員会の松村信之介さんは、「新しいツールが入ることによって大変になるという意見があるかと思ったら、そういった声はありませんでした。逆に、これまでほとんどの先生が、振り返りを子どもたちにノートで書かせていたため、『これで、一元化できる!』という前向きな声が多かったですね」と、先生方にも好評であることを話しています。

▲渋谷区教育委員会事務局教育指導課 統括指導主事の松村信之介さん

篠原さんも、「開発段階から、先生の手間を増やさないということは念頭に置いていました。これまで日常的に使っているシステムなどの情報を連携させることによって、教育ダッシュボードは、先生方に負荷がかからない仕様にしました」と、話しています。
さらにメリットとしてあげられたのが、担任の先生が一人で抱え込まなくなったという点です。自身も先生の経験をもつ松村さんは、「私もそうでしたが、クラスで何か問題が起きると、先生は『自分で何とかしなければ』と一人で抱え込んでしまう傾向があります。しかし、教育ダッシュボードで客観的なデータが共有されることによって、これまでは見えにくかった隣のクラスや他の学年の様子も見ることができます。そして、学校全体でチームとして、その問題に取り組んでいくことができるのです」と話してくれました。
学校現場の先生方の「働き方改革」も問題視されている近年、こうした取り組みは、先生方の負担を軽くしていくことが期待できそうです。

▲ダッシュボードでは、子どもたち一人ひとりの状況を、様々なデータと比較して見守ることが可能。不登校のきざしを、早期発見する手掛かりにもなります

2022年夏から児童生徒用のダッシュボードも試験運用スタート

そして、今年度の10月からは、いよいよ児童生徒向けのダッシュボードと「HACHIアプリ」の本格的な運用が始まりました。すでに、夏休み前の7月から試験運用がスタートし、冒頭に紹介した「渋谷ハチ公(SHIBUYA♡HACHI)のスタンプ」を使って今の気持ちを報告したり、学習の振り返りをしたりできる取り組みが行われています。
「試験運用の段階でも、『自分が入力したものに対して、先生からスタンプやコメントが返ってくるといったデジタル上のやりとりを、子どもたちが楽しんでいる』という声も聞いています」と松村さん。
「HACHIアプリ」は、学習用と生活用の2種類があり、自分の目標を記入することで、いつでもその目標を振り返ることができます。「学習NEXTシート」では、授業や週単元の振り返りで「自分のめあてを達成できたか」「学習が楽しかったか」「友達の考えを聞いたり読んだりし、自分の考えをよりよいものにできたか」といったアンケートや、友だちの頑張っている部分を記入します。「お互いの良いところを見つけることで、『褒めあいの文化』を醸成していきたい」と、篠原さんは話しています。

▲児童生徒が使う「HACHIアプリ」

松村さんは、さらに「HACHIアプリを使うことで、子ども自身が、自分が今どれぐらいできているのかを客観的に掴めるようにしたいという願いがある」ことを明かしてくれました。
「自分が何をすれば、一歩先の次の学力につながるかっていうところを、自分自身で掴めるようになってほしい。また、友だちのよいところを見つけることによって、自己有用感だけでなく、他者の良いところを自分の考えに取り入れていってほしいという思いもあります。
最終的には、『一人ひとり、宿題が変わってくる。しかも、その宿題で何をやるのかを、子ども自身が決められる』ところがゴールかなと思っています」(松村さん)

「子どもたちが自分に最適な学びを理解してほしい」

最後に、皆さんから教育ダッシュボードをはじめとした渋谷の教育にかける思いを語っていただきました。

「データ利活用やダッシュボードは、先生方がこれまで蓄積してきた経験と勘を、データですべて置き換えるものではありません。それらを大切にし、厚みを持たせるための手段のひとつです。
一連の取り組みを通して、子どもたちが、『明日、また友だちに会いたい』『毎日学校に通うことが楽しい』と思ってもらえる環境を作っていきたいと思っています」(篠原さん)

「学習系の『HACHIアプリ』は、子ども自身が一人ひとりの学びをしっかり把握をし、自分で調整していくことができるものです。これからの時代に必要なものだと思いますので、自分の学びをしっかりと理解をして、自分に最適な学びを選択できるような力につなげて ほしいという思いを持っています」(松村さん)

「渋谷区が教育データの利活用で目標としている『子どもたちが自ら目的を設定して振り返り、責任ある行動が取ることができる力』は、今の学校にいる間だけではなく、社会に出てからも必要となる能力です。自分で夢を実現したり、成功体験を積んだりといった、将来的な人生のウェルビーイングに繋がる部分だと思います。これらのアプリや、先生の適切な支援などの助けを得て成長して、自分自身でウェルビーイングを実現していってほしいです」(竹澤さん)

今回お話をうかがった皆さんからは、幾度となく「子どもたちのウェルビーイング」という言葉が伝えられました。
子どもたちが幸せであること。子どもたちみんなが、毎日学校に行きたい、学校が楽しいと思えること。
簡単なようで、その実現はとても難しいものです。
最新の技術を活用したデータを活用し、さらに、子どもたち一人ひとりだけなく、先生たちのウェルビーイングも実現させたい。そういった熱い思いが、3人のお話から伝わってきました。

これからも渋谷区の教育は、「子どもたちのウェルビーイングの実現」を目指し、柔軟に変わり続けていくことでしょう。渋谷区で子どもをもつ母の一人として、引き続き見守り、応援していきたいと思います。

◾️篠原保男 略歴
渋谷区教育委員会事務局 教育DX政策推進特命部長
令和2年より教育行政に従事。ICTの環境整備を含む教育の情報化推進を担当。
「渋谷区の好きなところは、街、住む人、集う人、その全てに、たくさんの可能性を秘めているところ。」

■竹澤悠人 略歴
渋谷区教育委員会事務局 教育政策課 教育ICT制作係 係長
平成24年入区。文科省出向等を経て、令和2年から教育のICT環境整備担当。令和4年度より現職。
「渋谷区の好きなところは、道行く人がエネルギーに溢れているところ。いつも元気をもらえます」

■松村信之介 略歴
渋谷区教育委員会事務局 教育指導課 統括指導主事
東京都公立小学校教員として、渋谷区を含む3地区の小学校で勤務。
平成29年から、渋谷区教育委員会事務局に入り、教育行政に従事。
「渋谷区の好きなところは、多様な人々が集い、多様な価値観に満ち溢れ、互いを尊敬し合っているところ」

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