京王井の頭線渋谷駅、マークシティ改札を出た右手にあたる道元坂一丁目エリア。
最近だと、東急プラザなど大きなビルもできて開発が進んでいるように見えますが、一本道を挟めば今人気のチェーン系居酒屋から、古くからあるお店や小さなBARなどの雑居ビルが立ち並ぶ飲屋街です。
そんな道玄坂一丁目には渋谷で飲み歩いている人が、必ず一度はたどり着くお店「山家(やまが)」があります。
「戦後間もない昭和22年くらいでしょうか、先代が乾物屋を始めたそうです。当時から渋谷には人が多く賃料が高かったので、一度は三軒茶屋という話も出たそうですが、奥様の先見の明で渋谷に決めたと聞きました。それから、高度成長をしていく日本のスタミナに肉を使った商売が増え、うちも細々と続けていても儲からない!っと昼は乾物、夜は焼き鳥居酒屋になりました。当時は二番煎じ、出遅れたところもあったと思いますが、今から考えればその一歩を踏み出すかどうかが、一代築きあげるきっかけだったのでしょうね」
そう話すのは、統括責任者のマキエさん。お店の経営から従業員のケアまで、山家を支えています。
「このキングビル(山家支店が存在するビル)も最初は賃貸だったと聞いています。そこを1フロアずつ、こつこつと買って、持ちビルになりました。うちは乾物と焼き鳥屋の両立を始めた時から24時間営業なのが強み。そこまでして金儲けがしたいのかなど批判の声もありましたが、どんな時もその姿勢を貫いてここまできました。今では本店と支店で営んでいます」
世界を変えた「コロナ」。けれど、変わらなかった「山家」
「いつ行っても山家ならやっている」そんな安定感のある老舗も、今回のコロナでは大打撃を受けたそう。
「緊急事態宣言下では、すべてのルールを守り営業を停止しました。けれど、うちのスタッフは中国から来てる子も多く、帰るに帰れません。他のスタッフも20年以上働いてくれている60歳オーバーの年寄りばかりで、仕事がなければ生活も窮困してしまいます。会計士には切ってくださいと言われましたが、どうしてもできず……。持ち出しをして、給与を全額保証していくことにしました」
「あぁ、もう底をつく。そう思った矢先に全面解除になり、売り上げは100%回復しました。お客さんが久しぶり!と入ってくる姿や、スタッフみんな生き生き働く姿を見て、この判断で良かったと涙が出そうでした。スタッフと経営陣、お客さんもみんな一丸になって乗り越えたと思います」
見えない家族に向けた、小さな優しさ
取材にお伺いした平日の昼間でも、たくさんの人で賑わっており、多くの人の笑顔が見えました。そんな山家には、コロナでもやめなかったある〝習わし〟があるのだとか……?
「七夕になるとスタッフの子に浴衣を着せてあげるんです。中国の子たちが少しでも日本の文化と触れ合えたらいいなと思って始めたのですが、親御さんに写真を送るとすごく喜んで、安心してくれるそうです。中には着付けをマスターした子もいますよ」
そう言ってスタッフたちの浴衣姿の写真を見せてもらうと、マークシティーを背景に少し恥ずかしそうに笑うかわいい女の子たち。中国の方々もすっかり渋谷っ子の顔ですね。
積み上げてきた思いがぬくもりとなった山家らしさ
「スタッフのみんなは、こんな古いお店で一生懸命働いてくれるだけでありがたいですよ。でもね、綺麗なお店はいくらでもある。うちだって、直してしまえば綺麗になる。でもそこじゃないよさがあるんです。創業から変えていない、ガムテープで補強したドアは作ろうたって作れるものじゃないんです」
「山家ってふるさとをイメージして名付けられたそうなんです。お客さんも、スタッフもみんながホッとする場所になっていて、まさにその名の通り。みんな本当に家族のようなもの。そのスタッフと積み上げてきたお店の古さが山家らしさなんです。……でもね、本当の山家はこれからなの。年寄りスタッフみんなで田舎に老人ホームを建てて、共同生活するのが夢なの。ふふふ」
最後は楽しそうに山家の終着地点まで語ってくれたマキエさん。取材中もスタッフやお客さんと気軽に話す様子は渋谷のお母さんのようでした。
創業当初は長閑だった渋谷の街も、今ではすっかり東京の顔。どこに出しても恥ずかしくない世界の渋谷だと、山家の人たちみんなが言います。その渋谷で、古くから変わらない店「山家」。そこには、変わりゆく都会の街並みでは見かけなくなった「家族」の温かさがありました。