創業100年まで残り4年。渋谷で愛され続ける「中国料理 白鳳」宮川幸一さん

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1926年、関東大震災の被害から立ち直りつつある渋谷は今と違い高層ビルのない景色だったと聞きます。そんな渋谷のTSUTAYAのあたりに「渋谷食堂」というお店が開店しました。大正、昭和、平成と激動の時代を駆け抜け、現在も中国料理 白鳳という名で営業を続けるこちらのお店、後4年で創業100年。つまり1世紀を迎える渋谷の老舗飲食店です(インタビューは2022年9月に実施)。

創業100年まであと4年、始まりは大衆食堂

「1926年に、新潟で大きな旅館の息子として生まれた先代の高木三九郎が、株で失敗をしてしまい身体一つで上京。旅館での客商売経験を活かし”渋谷食堂”を創業、その歴史が始まりました。渋谷食堂は『五目焼きそば』という柔らかい麺にあんをかけた食べ方で火が付き人気店に成長。都内で13店舗、全国各地にも複数出店する程までに店舗数は増えました」

そう話すのは、今回取材をお願いした中国料理 白鳳を運営する株式会社高木本社の常勤監査役、宮川幸一さん。宮川さんは18歳から55年間高木本社で働いており、2002年には四代目社長に就任。長きに渡り、この地で渋谷の街を見てきました。

宮川さんからお借りした創業時の資料には「創業当初からたくさんのお客さんが足を運んでくださって、3年ほどは日付けも、今日が何月何日かも知らずに家族で働いた」とあり、がむしゃらに働かれていたのがひしひしと伝わってきました。また、周辺にライバル店が開店した際には「資金で戦うには、勝つ見込みがない。品物を上等に、値段を安く、施設に奉仕して戦おう」「誠意ほど、熱心ほど恐ろしいものはありません。私たちの努力を幸いお客様に認めていただけました」など飲食店としての高い志が数多く記されていました。

「その後、戦後の1945年は渋谷も焼け野原。しかし焼け跡をそのままにしておくと土地を取られてしまう為、慌てて先代社長の地元である新潟から木材を送ってもらい小屋を建てて店を再開したそうです。1946年にはネオンの大きな看板が目立つお店の写真が残っていますが、店の裏は空き地で復興には程遠い様子でした。1955年には創業地の駅前にビルが建つことに……ここが今のTSUTAYAですね。当然、私達は営業が出来なくなってしまうので今の場所に渋谷食堂会館を建てることになりました。1967年に時代の流れに沿うべく、結婚式の披露宴などを行えるビル「万葉会館」へ建て替え。地下2階、地上4階建のビルで、レストラン数店と着付けやセットのできる美容室、写真会館、社員食堂などが併設され、その1階には白鳳も入っていました」

十数年後に再度ビルを建て替え、貸しビルとなったそう。そこに私たちの記憶にも残っている日本1号店となる「HMV渋谷」が入り、渋谷の新たなトレンドとして話題になりました。2010年にはforever21、現在はIKEAとテナントは変わり続けていますが、地下フロアでは今回お伺いした「中国料理 白鳳」とイタリアンの「Ventuno Tokyo」を続けられています。

18歳から55年間続く想い

「私自身は1967年に地元新潟から東京に出てきました。当時はまだバブルの前で景気が悪くてね、渋谷もそんなに都会的ではなかったですよ。最初は料理人に立候補したのですが叶わず、スタッフとして働きました。当時はとにかく店長になりたくてガムシャラに働いていました。そのうち時代はバブルになり、給料は毎年倍近くになる好景気でしたね。使う暇がないほど忙しかったなぁ。当時の渋谷は歩けないほどの人で、やっぱり商売をするなら渋谷だなと感じていました。この街で、この場所で商売できることは幸せなことだと、今も思っています」

渋谷だけでなく、全国各地の店舗で働いてきた宮川さんだからこそ知る渋谷の魅力も多いのでしょう。ここには書けないような、当時のセンター街の裏話を教えてくださいました。

今も変わらない「五目焼きそば」

白鳳の魅力は自慢の料理だけに留まらず。センター街にありながら、落ち着いた雰囲気と高級感のある店内装飾は他店との圧倒的な違いを感じることが出来ます。銅板アートの施された壁や、渋谷では珍しい大人数の宴会ができる個室があり、渋谷民の打ち上げなどにも多く使われてきました。今も変わらない「五目焼きそば」を目当てに50年以上通う常連さんもいるのだとか。

「看板メニューの五目焼きそばは変わらずですが、その他のメニューは色々と変化しました。最初は安く、美味しく、気分よく!というような大衆食堂からのスタートですから、少し高級感を出したら離れてしまうお客さんも多くてね。ですが、味は本物。一流ホテルのシェフにお願いしてメニューからノウハウまでを学びました。あとは食べ放題イベントをやってみたり、時代のニーズに合わせていろんなチャレンジをしましたね(笑)。おかげで今の白鳳に通ってくれるお客さんがたくさんできました」

今回いただいた、五目焼きそばは具沢山の餡掛けに隠れた、しっとりもっちりした麺が絶品で、渋谷新聞代表の鈴木も一押しのメニュー。一緒に注文したフカヒレスープはコク深い味わいながらも、すっきりした味わいで、ホテルの高級中華にも負けない味です。しかもこれがリーズナブルにいただけるのだから、お店の心意気を感じます。

「私自身はやっぱり飲食業や接客業が好きだから、ここまでやってこられたんだと思います。お客さんと話すことが楽しいんです。今でもフロアに立って動くことが好きですよ。長くやっていれば大変なことはたくさんありますが、それが人と接する仕事の醍醐味でしょう。怒るお客さんがいれば、それには絶対に理由があるわけで、真摯に対応することが大切です」

渋谷はたくさんの希望がある街です

白鳳の入る高木ビルといえば、渋谷センター街のど真ん中。場所柄、渋谷の顔ともいえるテナントが出入りしています。街の移り変わりを一番肌で感じているからこそ、見えてくるものがあるのでしょうか。

「今、渋谷は高層ビルが増えて個人店はなかなか難しいなぁとは思いますね。地下道をもっとセンター街に繋げるとかしていけたらとか、いろいろ考えますね。渋谷はたくさんの希望がある街です。まだ完成していない街だからこそ、これからが楽しみ。見届けるためにも、長生きしなくちゃなぁと思いますよ」

 

時代と共に変化しつつも、根本は変わらない白鳳。その中で宮川さんの「真摯に対応すること。」という言葉や、先代の高木三九郎氏も仰っていた「誠意ほど、熱心ほど恐ろしいものはありません」その言葉がすべてなのかもしれません。

老若男女、お一人様も団体様も変わらず全てのお客様を大切にしてきた中国料理 白鳳、来店する方が笑顔になる味と接客をこれから先も守り続けていくのだろうと感じられるインタビューでした。

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