日本で1番有名な交差点「スクランブル交差点」を駅から渡った先、センター街左手は三角地帯になっています。飲食店から本屋、薬局など様々な店舗が入るこの場所は1棟のビルでその昔、7人で資金を出して購入、ビルを建てたんだとか。
その7人のうちの1人であった先代から、洋食レストラン「マスダ」を引継いだ増田泰雄さん。現在はもんじゃ焼「渋谷マスダ亭」という、もんじゃ焼きとお好み焼きをメインにした鉄板焼きのお店を営んでいらっしゃいます。
洋食レストランからもんじゃ焼きへの事業転換、一体何があったのでしょうか?
「ここは父の代、昭和32年に建てられ、レストランとして洋食などを提供していました。その前も戦後すぐから今のエスパス(パチンコ店)の辺りで喫茶店を営んでいたそうですが、今お隣にある西村が母の実家にあたり、この場所への出店を勧められたそうです。当時住んでいた家なども売って資金を作るほど大変な金額だったと聞いています。」
「そんな渋谷の繁華街で飲食を営む父を見て育ち、渋谷に遊びにくればうなぎの花菱に連れて行ってくれましたね。ちょうど花菱の先が料亭なんかがたくさんあって、綺麗な芸者さんをよく見かけました。その芸者さんがね、父を“まぁさん♡”なんて呼ぶんですよ!子どもでしたから、うっかり母に報告しちゃってね、父からはもう花菱には連れて行かない!と怒られました(笑)」
きっかけはテレビ局の仕事
渋谷で働く先代の背中を見て育った増田さんですが、意外なことに大学卒業後はテレビ業界に就職。忙しくも新しいことばかりの日々にがむしゃらに働いたそうです。そんな中、務めていたテレビ局の大きなイベントが渋谷で行われて、仕事を通してお父さんと会う機会がありました。
「109や東急本店などのステージや催事を利用する大々的なイベントだったので、地元の方々の協力が必要でした。その当時の道玄坂商店街副理事長が私の父で、たくさん力を貸してくれました。店を継ぐことに反発して就職した私にそこまでしてくれて、感謝の気持ちはもちろん、渋谷という街でまっすぐ生きてきた姿に純粋に尊敬しましたね。また、この時に渋谷という街を生まれた街としてではなく、外から見ることで印象も大きく変わりました。」
その後は名古屋支局に配属になり、バブルを謳歌する生活が続いたようですが、お父さんが体調を崩し店を継ぐことを決意。しかし、古くからいたスタッフの反発などもあり、5人のシェフのうち3人が退社する事となってしまいました。危機を好機に!とシェフがいないと作れなく、利益率も悪い洋食レストランから職人がいなくても作れるもんじゃ焼きやお好み焼きのお店に変えたそうです。
コロナの逆境から生まれたアイディア
そこからは地元の人はもちろん、その味は関西の人にも認められ、さらに観光客や修学旅行生などの需要もあり、渋谷の人気店へと成長を遂げました。しかしそんな「マスダ亭」も例に漏れずコロナの影響を受ける事に。
「渋谷からも人がなくなり、何度もこのまま店を閉じようかな……なんて考えました。けれど、社員がクラウドファンディングを立ち上げて、応援してくださるお客様もいて、このまま辞めることはできないと何とか踏ん張りましたね。」
そのタイミングで、古くからの友人がプロデューサーを務めた映画「名探偵コナン ハロウィンの花嫁」が渋谷を舞台にしていると聞き、コラボ商品として昼限定のテイクアウトカレーの販売(昼のみ水木休業)を始めたそうです。お好み焼きで使う牛すじと、和風の出汁を合わせたオリジナルカレーはそのクセになる味がジワジワとコナンファンからも人気を集めているのだとか。
最後に、そんな増田さんの思う今後の「マスダ亭」と渋谷について聞いてみました。
「お店は、子どもには無理に継いでほしいとは考えていません。ただ父のようなかっこいい背中は見せられるように頑張らなきゃですね。もし継ぐとなれば、父がしてくれたみたいなサポートはしたいと考えています。そうなって少し手が空いたら、渋谷のためにできることを探したいですね。渋谷は良い意味でカオス。みんなが1つのベクトルに向いていないから良いのかもしれない。いつまでもそんな渋谷を見守りたいです。」
増田さんの座右の銘は“人を喜ばせたい 人から愛されたい”。その言葉の通りのお店であることはもちろん、ボランティアや法人会などでも人と関わりを持ち、渋谷の街での人と人との繋がりが何を生むのかを体現され続けています。
マスダ亭さんの鉄板を囲みながら、みんなでもんじゃ焼きをつつくと、熱々のもんじゃに心までほかほかしてきます。渋谷という人との繋がりが希薄になる大都会でも、人は人と繋がりながら成長していくのかもしれません。そして、その繋がりは次の代へとまた引き継がれていくのでしょう。
◾️渋谷マスダ亭
〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町22-1
TEL 03-3462-0016