なりたくなかったはずの教員が天職だった! 東京都立第一商業高等学校 平野篤士校長

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代官山駅から徒歩10分弱。お洒落なアパレルショップや飲食店を通り過ぎた先に都立第一商業高校があります。

「学生時代、一番なりたくなかったのが教師だったんです。サラリーマンになろうと思ってました」

そう語った都立第一商業高等学校の平野篤士校長にご自身と商業高校校長としての矜持をうかがいました。

 

就職内定を辞退してまでも選んだ教員の道

 

今では「校長は私の天職です」といい切る平野校長が教員を志したのは大学卒業も差し迫った頃だったそうです。

なぜ教師になりたくなかったのかをうかがえば、身内に教員が多く、偉そう、上から目線でものをいう、実際の行動が伴わないから、とバッサリ。

 

「神奈川の県立高校を卒業後、都内の大学で経営学を学び同級生と同じように就職活動をしていました。面接の練習や適性検査なども受け、実際に内定をもらった会社も10社ほどあったんです。でも、在学中にしていた塾講師のアルバイトを通して、やはり教えたい、教員を目指したいと思うようになったんです。あんなにイヤだと思っていたのに(笑)。

そこで当時バイトをしていた塾の社長に相談し、卒業後はその塾で正社員として働きながら聴講生として教員免許状取得に努めました」

 

働きながら学び、教員になったのは25歳の時。

 

商業高校で活きる学生時代の経験

 

 

「最初は生まれ育った神奈川の商業高校への就職を考えていたけれど、ちょうど採用がなかったので都立商業高校の採用試験を受けました。一番最初に赴任したのがここ、第一商業だったんです。神奈川で育ったので都立高校のことはまるで知らなくて、都内の高校生の様子が、牧歌的だった自分の高校時代とは違うことに驚きました」

 

そして1年経たずに教員は自分の天職だと実感したといいます。

 

「当時の校長から、就職活動や社会経験のある教員はあまりいない、私のリアルな就職活動や塾の社員をしていた経験を伝えてほしいといわれたんです。

当時、商業高校へやってくる子は、さまざまな理由から卒業後は就職をすると決めている子が8割、私の経験を伝えることで就職が有利になりとても喜ばれた。生徒から喜ばれたことがすごく嬉しかった。商業高校だからこそのやりがいがあったんです」

 

平成5年以降、高校卒業後に進学する生徒が増え、就職準備のための商業、工業高校の数が減っていく中、どう対策していくかを考えたそうです。結果、自らが校長になればいいと管理職選考試験を受けたのが38歳の頃。合格後は、まだ若く色々な場所で経験を積むために都庁勤務や教育委員会で特別支援学校に携わりました。

新設高校の開発準備室に勤めた後に副校長となり、進学校の都立日比谷高校では商業科とはまたタイプの違う生徒たちの成長に尽力したそうです。

 

「50歳で八王子の東京都立松が谷高等学校で初めての校長に就任しました。その後、東京都立狛江高等学校で校長を務め、都立第一商業に校長として戻ってきたんです。

どんな学校にもその学校を必要としている生徒がいて、その子たちのために働くことが幸せでした。現在に至るまで赴任した全ての学校で全力を尽くしてきました」

 

 

商業高校の変化と「渋谷学」

 

以前の商業高校は工業、農業などと同じように職業高校と呼ばれ、資格を取得し就職をするための準備学校としての役割が大きくありました。時代の移り変わりと共に専門高校と呼ばれるようになり、商業科ではなくビジネス科へとそのフォーカスが変化してきました。

商業高校のメリットは専門性のある授業があるというところ。10年ほど前までは半数以上の生徒が卒業後は就職をしていたが、近年は25%程度が就職。残りの生徒は高校在学時に簿記などの資格を取得し、大学などへ進学後にさらに専門的に学び税理士や会計士を目指す学生も多いそうです。

 

 「そんな中、第一商業は令和3年4月に東京都教育委員会から『地域探究推進校』の指定を受け、校舎のある渋谷区にスポットを当てる『渋谷を科学する=渋谷学』という学習をスタートすることになりました。

『渋谷学』とは渋谷区内にある國學院大學がチームを組み、さまざまな角度から渋谷を研究するプロジェクトとして登録商標を取得しているのですが、本校では3年間のグループワークを通して渋谷を様々な角度から調べ、現状や課題を探究し、課題解決・地域貢献をしていきます。

時勢的に学校見学会もなかなかできませんでしたが、都内の中学へ赴いて本校のある渋谷に根付いたビジネスや課題にフォーカスした渋谷学についての話をするようにしたところ、興味を持って入学してきた生徒が結構いたんです」

 

1年次は渋谷区内のビジネスを調べてインタビューへ行きその報告を行います。どうしたら取材を受けてくれるか試行錯誤することも学習の一環なのだそうです。

2年次は株式会社東急の協力のもと、渋谷区内での課題をプレゼンしてもらい課題解決を導き出す学習をしていきます。

そして3年次に集大成としての卒業発表を実施。

もともと実地学習としてさまざまな企業へのインタビューへは行ってきたそうですが、それを渋谷に特化してやるのが渋谷学です。

 

「こういった取り組みができるのは進学校ではない本校のメリットなんです。今後は職業体験も渋谷区内の企業などとやって行きたいと予定しています。今までも渋谷新聞代表の鈴木さんが経営するシブテナでも生徒を受け入れてもらってきました。生徒たちのアイデアは素直ですごく面白い。これからは渋谷学を通して地域で得た知識を、どう課題解決のために活かすかを学んでいってほしいです」

 

渋谷の街でこれからも生徒を見守っていく

 

最後に平野校長にとって渋谷とはどんな街かうかがってみました。

「音楽の街、ライブの街です。実は音楽が大好きなので、渋谷のライブハウスは全て制覇しているかもしれない」

もっと教育に関連する内容かと思いきや、公園でのフェスなども含め20代の頃から渋谷にある多くのライブハウスに足を運んできたそうです。

 

「体力が衰えると気力が衰えるので毎日4kmのウォーキングは欠かせません。今年で定年を迎えるけれど、まだまだ校長を続けていきたい!」と力強く語る平野校長のお話は、生徒たちへの愛情に溢れていました。

 

◾️平野篤士 略歴

昭和38年3月10日神奈川県生まれ。立教大学経済学部卒。

昭和63年4月に東京都立第一商業高校の教員として採用される。

その後、東京都教育委員会、日比谷高校副校長、狛江高校校長などを経て現職

 

◾️東京都立第一商業高等学校

〒150-0035 東京都渋谷区鉢山町8-1

WEB https://www.metro.ed.jp/daiichishogyo-h/

 

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