“渋谷が盛り上がれば日本が盛り上がる” 渋谷スクランブルスクエア 山中莉奈さん

2019年11月の開業とともに渋谷駅の新たなランドマークとなった「渋谷スクランブルスクエア」。

その渋谷スクランブルスクエアに開業前から関わり、PRや施設運営など渋谷駅前ど真ん中で活躍する山中莉奈さんにSHIBUYA CITY FCの畑間直英がお話を伺いました。

 

 

クラシックバレエから学んだ街と芸術の関わり、そして日本の課題

ーー山中さんはどんな学生時代を過ごされていたのですか

山中さん(以下敬称略):

小さい時から、クラシックバレエを習っていて、大学でもクラシックバレエを中心に生活していました。

もちろん舞台でパフォーマンスをしていたのですが、大学特有の「役割決め」の際に、組織の運営か舞台の企画・運営をするかの二択を迫られて、クラシックバレエをプレイヤーとして演技するだけではなく、企画や演出などにも携わるようになりました。

100人規模の組織だったので大変なことが多かったですが、自主企画の舞台や4年生を送り出す卒業舞台の演出はとても楽しかったです。卒業舞台は4年生がメインのはずなのにOBOGも演技するようにして、みんなで楽しく過ごした学生生活でした。

 

ーーそこから東急株式会社に新卒入社されることになったと思うのですが、就職の背景を教えてください

山中:

クラシックバレエもそうですし、大学でも芸術関係のことを学んでいました。芸術と街の結びつきを学び、日本では芸術・アートといった「文化」に対してお金が集まりにくいことを知りました。

スポーツは東京オリンピックの開催もあり、ヒト・モノ・カネをうまく活用できるようになってきています。一方で芸術・アートの分野ではまだまだビジネス化が進んでいないのが現状です。ヨーロッパではあちらこちらに劇場やライブハウスがあって、しかも無料で鑑賞できる日があるなど入場のハードルが低い。日本だと、芸術やアートってまだ少し鑑賞のハードルが高いように感じます。

そういった課題を知って、芸術が生活に入り込むような街づくりをやってみたいと思うようになり、ディベロッパーや鉄道会社のような街づくりを積極的に行っている会社をメインに就活をしました。
最終的に当時開発真っ盛りだった渋谷の街づくりをしている東急に就職を決めました。

 

 

青春の駅員時代、責任ある開発事業の調整役を経てスクランブルスクエアへ

ーースポーツもまだまだ人々の生活に入り込むまではいたっていない印象ですが、確かにアートは展示も観に行くときに少し気合いを入れていかなきゃ……という感覚はありますね。続いて、入社直後はどのようなことをされたのですか

山中:

3ヶ月ほど関連会社で働いた後に、7ヶ月間いわゆる「駅員」として武蔵小杉駅で勤務していました。この7ヶ月間は本当に楽しかった思い出しかないです。終電を見送って始発の時間まで休憩、という日も。みんなで話したりお菓子を食べたりもしました。

約40人の同期もみんな同じ寮に住んでいて、駅員だと社外の友達と予定合わせるのが難しかったので、自然と仲が良くなっていきました。ちょっと遅くやってきた青春ですね。

 

ーーそこから、渋谷スクランブルスクエアの開業まではどのような仕事を?

山中:

まず渋谷開発事業部に配属されました。渋谷ヒカリエが開業し、次に渋谷スクランブルスクエアの開業を控え、着工のころですね。たくさんのステークホルダーが関わっているのですが、そこの間に入って色々調整する役割を担っていました。たくさんの検討事項・課題が出てくるのですが、私たちがそれを拾いながらプロジェクトを前に進めるといった仕事です。

一番思い出に残ってるのは、工事用のクレーンに電飾を付けてイルミネーションにしたプロジェクトですね。元々ビルだったところが工事現場になったので、急に街が暗くなってしまったことが課題視されていました。そこで、日中は工事に使っているクレーンに電飾を施し夜間はイルミネーションとして街を明るくする企画を実施しました。電飾にも色々と決まりがあるので渋谷警察署に通って明るさや電飾の色について調整しました。車を運転している人の障害にならないようにとか、信号と同じ色は見間違えるので使用できない、といった決まりがあるんです。プロジェクトの規模としてもかなり大掛かりだったのでよく覚えています。

そこから、社内で渋谷ヒカリエの開業に携わった人たちが「開業の経験はとても良かった!」と口揃えて話しているのを聞いて、自分も何かしら施設の開業に携わりたいと、開業1年半前に渋谷スクランブルスクエアの施設開業PRを担当することになりました。

 

 

開業PRと施設運営を担当し、今後渋谷でやりたいこと

ーーこれまでのキャリアを聞いていると、PRの経験などは無かったようですが、開業のPRはかなり大変でしたか

山中:

開業前は、毎日違う著名な方に渋谷スクランブルスクエアまでお越しいただき、様々なプロモーションを仕掛けていました。もちろん、そんなPRの経験も無かったので大変でしたが必死に日々過ごして吸収していきました。
当時の渋谷スクランブルスクエアとしてはそこでたくさんお金を稼ぐより、どんどんPRに施設を使っていただいて認知を広げていこうとしていました。

紅白歌合戦でも一ステージとしてアーティストさんにパフォーマンスをしていただいたのですが、とても寒かった記憶しかありません(笑)。結果的に、一般の開業日には多くの方に来館いただき、開業に携われて本当に良かったなと思っています。

 

ーーそこから現在まで、渋谷スクランブルスクエアでどのような業務に関わっているのですか

山中:

現在は、施設の運営側として主に広告事業に関わっています。渋谷スクランブルスクエアの顔とも言える特徴的な形をしたデジタルビジョンの活用や、施設内のどういったところが広告スペースとして活用できるかを考えています。
開業から2年余りですが広告事業はまだまだこれから軌道に乗せていくフェーズなので、どんどん新しい取り組みや渋谷の街が盛り上がる企画を実施したいです。

 

 

ーー最後に山中さんが今後渋谷で実現したいことがあれば教えてください

山中:

まずは、まだまだ渋谷という街が開発途中なので、この街がもっと盛り上がり、魅力的な街になるようにしていきたいです。

渋谷って色々な挑戦ができる街ですし、その挑戦を温かく受け入れてくれる雰囲気があると思っています。

私もそういった渋谷の街に魅力を感じているので「渋谷で挑戦したい、新しいことをやってみたい」と、もっと多くの人が渋谷の街に来てくれると嬉しいです。

 

あとは、渋谷駅からBukamuraへの道がニューヨークのブロードウェイの雰囲気に似ていると話すことがあって、今は飲食店が多いですが、先ほども話したように劇場やライブハウスがあって、気軽に鑑賞できるような街づくりにもチャレンジしてみたいなと考えています。

「渋谷が盛り上がれば日本が盛り上がる」と思っているので、とにかく渋谷が盛り上がるような取り組みをこれからも実現していきたいです。

 

◾️山中莉奈 略歴

3歳からクラシックバレエを習い始め、中学・高校で新体操部に所属。立教大学現代心理学部映像身体学科にてアートマネジメントを学び、アマチュアのバレエ公演の企画・制作を行う。
卒業後は東急(株)で渋谷の都市計画・まちづくりの仕事に携わり、渋谷駅前のサイン計画策定・Free wi-fiのSSID統一化を実施。現在は、渋谷スクランブルスクエアの広報・経営企画を担当する傍ら、プロのバレエ公演を企画・制作。

 

シェア・送る