
皆さんは「尾崎豊」をご存知ですか?
反逆のカリスマ、10代の教祖と呼ばれ、圧倒的な人気を誇ったシンガーソングライターです。
彼の楽曲は若者の心を代弁し社会現象を引き起こす程の絶大な支持を受けましたが、若干26歳という若さで突然この世を去りました。2022年4月、31回忌を迎えましたが今もその楽曲は高く評価され、数々のアーティストにカバーされ続けています。
そんな彼の楽曲には渋谷を舞台にした楽曲がいくつかあるんです。
今回ご紹介するのは「17歳の地図」
彼のデビューアルバムであり、タイトルからシングルカットされた楽曲です。

歌詞の中に登場し、ファンの間では今も「聖地」とされるその場所はどこなのでしょうか?
その場所とは「渋谷クロスタワー」(旧東邦生命ビル)

渋谷二丁目、六本木通りと青山通りのど真ん中に立つ大きなビルです。
尾崎豊は学生時代、青山学院高等部に通っており学校の帰り道に渋谷クロスタワーのこの場所からよく夕日を眺めていたと言われています。
「歩道橋の上 振り返り 焼けつくような夕陽が今 心の地図の上で 起こる全ての出来事を照らすよ」という歌詞の中の歩道橋は、クロスタワーのテラスの右側に続く道の事。
そこには尾崎豊の記念碑が建立されています。

この記念碑は、尾崎が亡くなった後、ファンの声を受けた当時の東邦生命ビルのご好意により、三回忌にあたる1994年4月25日に建立されました。記念碑の周りには尾崎へのメッセージが今も書かれ続け、毎年命日にはたくさんのファンが集まる場所になっています。



筆者も、10代の頃は尾崎豊を聞いていました。大人の言う「社会」の矛盾が反映された歌詞に魂を強く揺さぶられた記憶があります。成人した今、彼の曲を聞くとなんだか心の奥底を擽られるような気がして照れ臭い気持ちになると同時に、真っ直ぐでいることの大切さを改めて思い出したりもします。
渋谷は今も大きく変わり続けています。街並みは変わってもかつて尾崎がこの場所に立ち、何かを感じた事実に変わりはありません。焦げついた現代、毎日に疲れた時は「17歳の地図」を聴きながらこの地を訪れてみてはいかがでしょうか?忘れかけていた何か大切な何かを取り戻せるかもしれません。
世界一有名な交差点で作られた曲
青山学院高等部に通い、渋谷の街を自分の庭にしていた尾崎豊の初期の作品はこの渋谷の街がモデルになっているものが少なくありません。
「スクランブリング・ロックンロール」は彼自身が生前明言していたようにハチ公前のスクランブル交差点でさまざまな事を考えながら作った曲です。
「自由になりたくないかい?熱くなりたくはないかい?自由になりたくはないかい?思うように生きたくはないかい?自由って一体なんだい?どうすりゃ自由になるかい?」
10代のエネルギーを代弁したかのようなこの歌詞はライブでお客さんと尾崎で声の掛け合いのように歌われていました。恥ずかしながら筆者も若い頃はこの歌詞に魂を揺さぶられたものです。

名門高校での生活が生み出した名曲
尾崎豊の楽曲の中でも大変知名度の高い「卒業」。
この曲は渋谷四丁目にある青山学院高等部での経験が基になったと言われています。いわゆる名門高校ですが、尾崎豊は教師とうまくいかずに退学という道を選びました。
当時の学校の管理主義や教師の理不尽な対応は尾崎に高校中退を決断させるのに十分だったようです。それらの経験から書き上げた荒れた歌詞の内容は学校を批判するというのが核心ではなく体勢という支配からの卒業を意味したのではないか?と筆者は考えています。過激な内容で当時は「不良ソング」などと揶揄されましたが、実際に校舎の窓ガラスを割る行為などを行う若者が出現したことで、尾崎自身は後にそのような影響について「罪の意識を感じる」と述べていたようです。

渋谷にゆかりの深いアーティストということが改めて感じられたところで尾崎豊の渋谷に関するお話は今日はここまで。