渋谷駅徒歩5分の非日常を訪れてほしい セルリアンタワー能楽堂 宇田真理子さん

 

渋谷の駅から徒歩5分、セルリアンタワーの地下2階、上に国道246が通っていることを感じさせない静寂な空間にセルリアンタワー能楽堂(以下能楽堂)はあります。

時代をちょっと遡ると、そこは東急電鉄の本社があった場所。現在進行形で再開発が進み、高層ビルがどんどん建設されている渋谷駅周辺ですが、2001年の竣工から2019年に渋谷スクランブルスクエアが完成するまでは41階建てのセルリアンタワーが渋谷駅周辺で最高層のビルだったそうです。

 

そんなセルリアンタワーの地下2階に竣工当時からあるこの能楽堂、どこの流儀にも属さないというなかなか珍しい能楽堂。今回はセルリアンタワー能楽堂で室長を務める宇田真理子さんにちょっと特殊な立ち位置にある能楽堂についてお話を伺いました。

※観世・宝生・金春・金剛・喜多のシテ方五流のほかに、ワキ方三流(下懸宝生・高安・福王)、囃子(はやし)方一四流(笛方三流、小鼓方四流、大鼓方五流、太鼓方二流)、狂言方二流(大蔵・和泉)がある


能楽堂だからこそ観せられる伝統とコンテンポラリーの共演

 

見所(けんじょ)と書かれた入口を入ると正面に能舞台があり、右手に客席201席が広がります。

「この舞台は江戸城にあった能舞台と同サイズの京間三間四方(約5.9m四方)といわれるフルサイズで造られています。ホテルと同じ施設に入っているからこその特徴として、同じフロアに宴会場とキッチンがあるので、能楽堂のバックヤードでは香ばしいパンの香りが漂ってくることもあるんですよ」

と2007年から能楽堂に務める宇田さんが教えてくれました。

実はこちらの能楽堂の隣にはホテルが運営する料亭「セルリアンタワー数寄屋」もあります。公演中に飲食はできませんが、厳かな能舞台を借景しながら会席料理をいただくという非日常な響きが魅力的。公演によってはお食事と能楽鑑賞のセットプランも用意されているそうです。

 

では、ここで簡単に「能楽」についておさらいです。

室町時代から650年以上受け継がれ「能」「狂言」を合わせて「能楽」と呼ばれています。言葉や節回しは室町時代の様式を残し、豊臣秀吉や徳川家康といった武将にも愛され自ら舞っていたというエピソードも。現代ではユネスコの無形文化遺産に登録され、海外からも高く評価されている日本を代表する舞台芸術です。

 

 

若い頃から宇田さんは歌舞伎や文楽といった古典芸能に親しんできたこともあり、色々な挑戦ができる今の職場は面白いと話してくれました。

 

「大所帯の職場ではないので運営はもちろん、公演制作にも携わるし、本当になんでもやります。その中でも特に力を入れているのが主催公演です。

能舞台というと能、もしくは狂言しか公演しないと思われる方もいるかもしれませんが、実は色々な公演をしています。その中でもシリーズで開催してきている『伝統と創造』は10年以上続いて、Eテレの子供番組にも登場するコンテンポラリーダンサー、森山開次さんに出演・振り付けをお願いしたことも。能楽堂という日本の伝統的な様式を持つ空間を、コンテンポラリーダンスの振付家がどのように解釈し、扱っていくかを問う企画になっているんです。

今年は東急グループ創立100周年と芥川龍之介の『藪の中』初版発行から100周年というタイミングが重なったので、10年前に公演した『藪の中』を再演しました。観世流能楽師の津村禮次郎さんとバレリーナの酒井はなさん、そこに元ヒップホップダンサーの東海林靖志さん、クラシックバレエ出身の舞踊家小㞍健太さんが加わり、コンテンポラリーダンサー島地保武さんの振付けで上演しました。パッと聞くとなんともカオスに感じるかもしれせんが、10年の月日を経た演者それぞれの成長による相乗効果でとてもいい公演になりました」

 

様式を尊重しつつ裾野を広げる

能舞台というのは一つの神聖な空間なので、足袋を履いて立つのが伝統的なルールです。伝統を大切にしつつも海外からのダンサーや足袋で踊ることに違和感を感じる出演者もいるため、能舞台をカバーするためのリノリウムのフロアシートも用意してあるそうです。能舞台だから他のジャンルの公演はNGではなく、落語や日舞はもちろんのこと、クリスマスにはクラシックコンサートも開催しました。

朗読会をしたい、アニメのイベントを開催したい、アパレルの展示会をしたいといった、古典芸能に触れてきていない創り手の方たちが、あえて「和の空間でやりたい」と企画を持ち込むこともあるそうです。新しい視点で能楽堂という場に注目してくださる人達がいることは嬉しいことだと宇田さんは言います。

毎年、読売新聞主催の竜王戦7番勝負第1局の会場になっていることも、古典芸能とは違うきっかけで能楽堂を知る人がいる点も興味深いことです。

 

ちなみに公演予定のない日は14:30〜17:30に能楽堂内を見学することができます。渋谷駅からたった徒歩5分で都会の喧騒から隔離された非日常を感じられるのには驚きです。

「歌手の玉置浩二さんが能楽堂で番組収録を行ったことがあるのですが、その後から玉置さんのファンの方達が聖地巡礼のように見学に訪れてくれるようになりました。

能楽堂と聞いて、能楽を観にいく場所だから敷居が高いという思い込みがあるかもしれませんが、まずは見学という形で訪れてみてもらえたらと思っています。空間に触れて、興味を持っていただけたら公演を訪れるハードルが下がるんじゃないかと考えています」

 

▲2019年『渋谷能 第一夜』能「翁」宝生和英 写真撮影:辻井清一郎

 

若手能楽師を渋谷で盛り上げる「渋谷能」

2019年にBunkamuraの30周年記念の企画としてスタートした「渋谷能」は、若手能楽師が流儀を超えて、現代と伝統の世界を結ぶためのプロジェクトです。

「若い能楽師たちの活動できる場が少なかったこともあって始まった企画でした。初年度の開催時にはクラウドファンディングを実施したんです。若手の活躍を応援するだけでなく、クラウドファンディングを通して、それまで能楽に触れたことのない人たちを能楽堂へ呼び込むきっかけになればと思ったんです」

公演とは別日にシテ(主演の能楽師)による事前講座を開催。開演前には初見の方でもストーリーに入りやすいようにプロによる解説を実施することで能楽鑑賞に慣れていない方も飽きないような工夫がされています。コロナ禍になる前は鑑賞後に軽食と飲み物が出るアフターパーティーを行い、出演者や参加者同士の交流にもなっていたそうです。舞台では能面をつけたシテ方も面(おもて)を外して参加するため、素の表情に触れることでファンになる参加者も。

「流儀を超えて能楽師が一つの舞台に立つのはイレギュラーなのですが『セルリアンタワー能楽堂は民間の会社が運営していますから……』というスタンスです(笑)。

そういう草の根活動的なことが能楽ファンの裾野を広げていきたいと考えています。能楽師がどんなに頑張ってもお客様がいないと職業として成り立ちません。若手を集めての公演や流儀を超えた公演は他の場所でも積極的にやっていただきたいと思っています。能楽の公演を観に行くとだいたい同じ顔ぶれのお客様なので、もっと新しい方にも観ていただきたいんです。

年4回上演される『渋谷能』では4回通しのチケットもご用意していて、毎回座席が同じ場所になります。そうすると、お隣の方と仲良くなり他の公演も一緒にいくようになった方たちもいらっしゃって。古典芸能を観るお客様を育てていくのが私たちの使命だと思っているので周知・啓蒙も大切ですが、そういった横のつながりが生まれているのは嬉しい誤算でした」


 

お話を聞いていくと、能舞台を渋谷に作った経緯というのも気になるところです。

1979年にSHIBUYA109がオープンし、渋谷がファッションと若者の街と言われるようになっていく中で渋谷に大人を呼び戻そうと、セルリアンホテルにジャズクラブ「JZ Brat SOUND OF TOKYO」と、こちらの能楽堂が作られたそうです。

すでに1989年にオープンしたBunkamuraがオーチャードホールやギャラリーを擁していたので、次は日本の古典芸能のための施設をというのは納得。とはいえ、能楽堂という4本の柱に囲まれた特殊な“箱”を造ったのはすごい決断だったのではないでしょうか。そこから20年の時を経てもなお、多岐にわたった発信をし続けている能楽堂というのは、様々な文化の交差点ともいえる渋谷の街ならではかもしれません。

最後に今後の取り組みをうかがってみました。

「2023年4月に(一部を除く)Bunkamuraが休館になります。そのタイミングで私たち能楽堂に何ができるのか、新しいBunkamuraに向けてさらに新しいことにチャレンジしていきたいと思っています。そのためにも、もっと若い人に来て欲しいですね。ぜひお気軽に見学にいらしてください」

 

実は子どもの頃に能の謡(うたい)を習っていた筆者。親にいわれてやっていたお稽古だったので離れて久しいのですが、20年以上ぶりに訪れた能楽堂で感じたのは「また観たい!」でした。

能楽堂の敷居が高いと感じる方もまずは見学へいらしてみてください。(スケジュールはホームページへ)

 

写真撮影 伊藤秀俊

 

◾️宇田真理子 略歴

㈱東急文化村営業・開発部能楽堂運営室長。日本女子大学文学部国文学科(現 日本文学科)卒。2007年㈱東急セルリアンタワーに入社、セルリアンタワー能楽堂の運営に携わる。2011年より能楽堂の運営が㈱東急文化村に移管され現在に至る。

 

◾️セルリアンタワー能楽堂

東京都渋谷区桜丘町26−1 地下2階

Web https://www.ceruleantower-noh.com

 

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