100年に一度の再開発と言われている渋谷。渋谷駅周辺の景色もどんどん様変わりしてます。渋谷の再開発についてお話を伺うために、渋谷再開発協会の横山和理さんを訪ねてみました。
―渋谷再開発協会とはどんな団体ですか?
渋谷の再開発を通して経済の振興と公共の福祉に寄与するために周辺の団体が集まって出来た協会で、企業や町会、商店会など約100の団体が加入しています。
協会ができたのが1964年(当時は前身である「渋谷再開発促進協議会」)なので前の東京オリンピックの時ですね。
当時、新宿では淀橋浄水場跡の新宿副都心再開発、池袋では東京拘置所跡のサンシャインシティなど新しい都市計画が次々と発表されていました。
そんな中、3つの副都心の1つである渋谷でも再開発のグランドデザインを描こうと立ち上がったのがこの団体になります。
―横山さんはいつから渋谷に関わりがあるのですか?
学生の頃から渋谷にはよく足を伸ばしていました。渋谷PARCOやプラネタリウムなどにはよく通っていましたね。当時活気があった公園通りの街並みは今でもよく覚えています。
東京急行電鉄株式会社(現 東急株式会社)に入社してからは、東急多摩田園都市の都市開発、宅地開発などを行ってきました。代々東急出身の方が入って運営をしているこの協会に入ったのは6年前です。
―協会はどのようにして渋谷と関わってきたのですか?
協会のできた1960年代ごろの渋谷は今と全く違う街並みだったんです。ちょうどここにその頃の空撮写真があります。
写真を見て分かる通り東急百貨店本店(1967年開業)や西武渋谷店(1968年開業)はまだありません。東急百貨店本店は工事が始まっているのが見て分かりますね。
協会として、これらの百貨店などの開発に合わせ渋谷をどんな街にしていくのか議論を繰り返し行ってきました。
こういった議論で決まった方針は建築家の方と協力して計画書を作り、渋谷区の長期計画に盛り込んでもらいました。
渋谷・新宿・池袋の3大副都心を比較して、渋谷の魅力は何なのか、渋谷には何が足りないのかという観点から作成したのが「渋谷再開発計画’66、’70」です。
また最近では都市計画プランナーの方と協力して「世界的な視野で、渋谷らしさに磨きをかけて多様な人々を惹きつけ新しい価値を生む」というゴールで、「2040年の渋谷」を構想しました。
―横山さんが考える2040年の渋谷はどういったものですか?
今、渋谷は100年に一度の再開発と言われています。再開発というと大きなビルで街を発展させるという部分ばかりが目立ちますが、私が大事にしたいと思っているのはそれ以外の部分です。
それは中小規模のビルが連なっている路面を歩きながら買い物を楽しんだり、休んだりしながら楽しめる空間ですね。
スクランブル交差点に代表されるような歩きながら楽しい渋谷の街をこれからも守っていきたいです。
そのためにはやはり、街の治安・美化も重要です。
2000年頃から商店街や地元の方達を中心に渋谷でさまざまな取り組みが行われてきました。
これからもそういった地道な活動を続けることで少しずつ渋谷を安全な街にしていければ良いと思います。
―最後に一言お願いします。
渋谷に限った話ではないですが、再開発を進める中での課題の一つにいかにして人々の声を取り入れるかということがあります。
企業や町会、商店会の方たちと議論を繰り返したとしても、街を訪れる人のリアルな声というのはなかなか手に入りません。
街をより魅力的にしていくために必要なのは、渋谷新聞やシブテナに集まるような「普通の若者」の声です。
これからもそんな渋谷で暮らす若者の声にこれからも耳を傾けて行きたいです。
◾️横山 和理
(一社)渋谷再開発協会 常務理事。
渋谷をいつもウロウロ歩いて街の写真を撮っています。渋谷をみんなが来たいと思うような街にしたいと思っています。みなさんの意見を聞いて、少しでもその方向に街を動かせればと思います。