100年に一度の再開発といわれる渋谷駅周辺の変化は目覚ましいものがあります。そんな渋谷のまちに40年以上前から関わり続け、現在では一般社団法人渋谷未来デザインでアドバイザーを務められる須藤憲郎(すとうけんろう)さんを、建築好きの渋谷新聞高校生ライター 下田哲也さんとともに訪ねました。
渋谷と関わり40年。垣根を越えたまちづくりのために渋谷未来デザインを設立
新潟県で生まれ、高校に入学するタイミングで東京の杉並区に移り住んだという須藤さん。16歳の須藤少年は歌舞伎町に自宅がある同級生がいることで、場所によって特徴が異なる東京の「街」の刺激にカルチャーショックを受け、さまざまな場所を訪れたそうです。
「スポーツも好きだったけど、ギター買ってバンドを組んでみたり、美術部に入って絵を描いたりと、色々なことをやって、大学では土木工学を学びました。卒業間近になって就職をどうしようかというときに、首都圏整備計画に関わる仕事をしていた父から1都7県で未来に向けて色々な取り組みをしている話を聞いたんです。特に、谷底になっている渋谷駅周辺から外に向けて道をつなぐ計画があって、渋谷には面白い人がいっぱいいて、まちづくりについて一生懸命考えてるという話に興味を持ちました。
ちょうど第2次オイルショックで、就職のエントリーすら難しい状態の中、特別区(東京23区)の採用試験があると知って面白いかなと思い応募したんです。土木技術職で採用が決まって、第一希望だった渋谷区に採用されたのはラッキーでした。昭和52年だったかな」
と当時を振り返る須藤さん。
そこから40数年、ずっと渋谷区で仕事をしてきた須藤さん。区の職員から一般社団法人渋谷未来デザイン(以下、 FDS)の設立に至った経緯をたずねるとーー
「働き始めた当時の渋谷は整然とした街並みだけでなく、ちょっと怪しい雰囲気があって魅力的でしたね。道路や公園を作ったり維持管理をする土木部から、面的なまちづくりをする都市整備部へ異動したのが今から15年くらい前で、その頃から渋谷駅周辺の開発に深く関わり始めました」
区民と対話しながらまちづくりを行ってきたという須藤さん。都市計画法や法令に準拠したやり方でまちづくりをする中での合意形成の大変さや、民間によるまちづくりに立ちはだかる法令や条例といった制度。また、地域の町会や商店街といったエリアマネジメントに以前から関わる人の範囲の限界といった課題をどうにかできないかと区役所のメンバーと話す中、やはり産官学民によるアーバンデザインセンターのようなものが渋谷にも必要だとなり、数年の準備期間を経て行政の枠を超えたことに取り組むためにFDSの設立に至りました。
「本当の成果は多分、何年も経たないとわかんないと思うんです。端的に、1年で収支バランスがこうだったから良かったねって話ではなく、どう都市の価値を上げたかは10年、20年後の人が『ああ、あのタイミングで、こういうの作ったんだね』って言われるような未来に向けた仕事をしていかなくちゃいけないなと思ってます」
須藤さんは2018年に渋谷区からの出向という形で、FDS最初の事務局長に就任。渋谷区を退職後もまちづくりに関わり続け、現在はFDSのアドバイザーをなさっています。
その差50歳!? 世代を超えて共感できる“まちづくり”そして渋谷への想い
下田哲也さん(以下、下田)
父がランドスケープデザインの仕事をしていることもあって、渋谷のまちづくりにとても興味があります。今、日本の建築業界は量から質への転換期だと僕は感じていて、高度経済成長期の新しく建てていくっていう時代から、質の高いものを作っていくフェーズにいるんじゃないのかなと。その中で須藤さんにとっての「質」がどんなものなのかを伺いたいです。
須藤憲郎さん(以下、須藤)
すごい難しい質問ですね。(笑)
量から質っていう部分で僕が一番感じてるのは、3.11があったときに世の中の人が一瞬立ち止まって、「消費」じゃない選択があるかもしれないという議論をするようになったことをすごく感じてますね。もう一つは、コロナ禍になったときに公共空間ってやっぱり大事だねって、それまであんまり使われてなかった公園にみんなが行くような現象が一瞬起きた。どちらの場合も元に戻ってしまうかもしれない不安はあるけれど、いい方向にみんなの思考は向いているんじゃないかなと思うんですね。だから、目一杯の容積を獲得して建てよう(量)っていう時代から、どうデザインをするかというアプローチ(質)の仕方が大事になってきたと思うんですよね。
人間を中心に置いて都市を作るっていうのは、建物を作るのが目的じゃなくて人々の活動がその都市の中心になって、その都市でどう生きるかっていうことを考えて、建物や広場を作ってくことだと思うんです。
あとは、環境の話やライフサイクルコストなどが課題になる中、アップサイクルすることを初めから設計に組み込む。例えば、60年先に建物を壊した際の廃材の利用方法なども最初から設計に入れてほしいという希望が個人的にはあります。
他には、緑・自然を取り入れることを本気でやらないとダメだと思っています。壁面緑化をしているだけではなく、海外にあるような質の高い壁面緑化は日本ではみられないなって。
「走りながら考える」FDSの強みと渋谷の個性
下田
FDSの活動が、他の地域や都市にも応用できる可能性はありますか? 例えば、他の都市や地域に渋谷らしさが根づくような可能性っていうのはあるでしょうか?
須藤
FDSが取り組んでいるプロジェクトは、スポーツ系、教育系、色々あります。それらはやっぱり渋谷という都市の個性に基づいて育っていると思うんですよね。プロジェクト自体を作るプロセスは他の地域でも参考になると思いますね。でも「渋谷でできてるからこれをそのまま持っていく」だと、多分成り立たないものがたくさんあると思うんですよね。我々もFDSを創るときにさまざまな事例を調べたわけですよ。「あっ、これいいよね。でも、このままでは渋谷では成立しないよね」っていうものばかりでした。
大切なのはそれぞれの場所性を含めて、発展してきた歴史や経緯といった文脈をちゃんと読み込んでプロジェクトを作ること。そうすることで、ちょっと手間暇はかかるけど新しいニーズが来たときに「じゃあこうだね」と即座に実行できるっていうのがFDSのやり方。机上で計画を練っていると、発案から実施するまで5年ぐらいかかっちゃって世の中のニーズが変わってたなんてことも。走りながら考えられるのが、FDSのいいところでもあり、役所だけじゃできない部分の一つだと思います。
行政だけではできないことを、外側で、民間の人や地域の人と一緒に話し合いながら新しいサービスを生み出すということを目指しています。やってみて上手く行かないときは引きますし、皆さんがこの都市でどう生きていくかっていう、あらゆる人の居場所がある「まち」ができたらいいなって、私は個人的に思っていて、それをどうやって作っていくかを考えています。
(※FDSの実際の事例などはぜひホームページをご覧ください!)
下田
今のお話をうかがうと、それぞれの都市の個性が一番出るのが「人」によってなのかなと感じています。都市計画において、地域文化やアイデンティティなどをどういう風に尊重することが大切だとお考えですか?
須藤
これも難しい話だよ。(笑)
単純に、「渋谷では」っていう話をさせてください。渋谷は特殊な地形で谷底にある駅から骨格(道路)が放射状に広がることで回遊性につながっていると思っています。道に迷ったら 坂を下りていくといつの間にか駅に到達します。どの街も色々な歴史や経緯があって、それらを知ることで地域の文化やアイデンティティを守ることができます。反対に「どんどん変わっていくから渋谷は面白いよね」って言ってくれる人もいる。その中で変わらないのは、渋谷で挑戦したいって言ってる若者がいたら「いいね、やってみりゃいいんじゃない」っていう、地域の抱擁力と寛容さがあるのは渋谷の魅力の一つですね。
渋谷パルコや渋谷マルイ(現、渋谷モディ)といった大型商業施設があるかと思えば、神宮前から千駄ヶ谷の方まで、住居系のマンションの一室で新しいアパレルブランドがどんどん生まれていくような面白いことが次々と起きたのは渋谷全体の雰囲気があるのかなと思います。
もう1つは、尖った個性が集まることができるのが渋谷の魅力。大規模開発の大きい建物と中規模のビル、そして小さなペンシルビルみたいなものがちゃんと混在している。そうすると、サイズ感の違う床が選べる。そして新しいものと古いものも混在しているので、賃料に幅ができて高かったり、安かったり、色々なものが選べるわけですよ。色々な大きさと値段の床があるから、それぞれ必要な広さに合わせて色々な業種・業態の人が集まってこられる。それが渋谷の大中小っていう産業のスケールを維持して行かなくちゃいけない理由なんですね。
FDS立ち上げ後、最初の渋谷区との勉強会でさまざまな規模の産業・機能・人を活かして街の価値を向上させていく、「創造文化都市」という考え方を提言をしたんです。それに基づいて渋谷区が取り組んでくれて、東京都の新しい仕組みを使った「街並み再生方針」を作ることができたんです。それによって小規模でも建て替えが可能になったり大中小が守られることで多様性が守られるようになった。
他方で大きなIT企業さんが渋谷にオフィスを構えるのも渋谷が面白いから。オフィスから出て歩くと色々な刺激がもらえるからって、渋谷を狙ってくるところが増えてきました。
大中小どれも必要なんです。
同時に、大規模開発をすると、都市の基盤と共に広場を作ったり、公共的な空間をたくさん作ってくれるので、都市としては安全になりますよね。それは小さいビルではできないこと。
ウォーカブルシティの可能性と課題。すべての人に居場所を
下田
都市デザインが持つ可能性や役割が今後どうなっていくのか、将来の展望など須藤さんの考えがあれば教えていただきたいです。
須藤
まずは、全ての人の居場所があるまちにしたい。例えば、広場に集まってコミュニティーができるだけでなく、一人で滞在もできる。色々な人を受け入れてくれる場所があるといい。
今、国はウォーカブルシティ(歩行者を中心にデザインされた街。自動車を使わず徒歩や自転車、公共交通機関を利用してどこにでもアクセスでき、安全な歩行環境が整っている)という方向に大きく動いていて、道路自体の機能に「滞留」するっていう機能を取り入れていこうとしています。
滞留して交流して、そこで文化が生まれる――。まちを作ってるときに、あまりきっちり全部作りすぎず、余白が色々なところにあって、これ何に使うんだろうなみたいなところがあると、将来的にもあらゆる使い方ができて、面白さが生まれるんだろうなって。作り込みすぎないっていうのがすごく大事だと思ってます。
下田
では、都市デザイン とか、そういったことにおいて、今、最も問題、課題だと感じることってなんでしょうか。
須藤
ウォーカブルシティの文脈から言うと、渋谷もそういう街を目指していて、道路を車から人に取り戻そうと世界中の先進都市が行ってると。
じゃあ、そうなったときに、交通弱者はどうしたらいいのかーー。駅で降りて、車は走ってないし、みんな歩いて健康的でいいよねって言われても、高齢者は50メートルごとにベンチがないと目的地に辿り着けない。ラストワンマイルのパーソナルモビリティを誰がどうやって作ってくれるっていう交通移動の話をちゃんと組み込んで、まちづくりをしていかないとダメな時期かなと思っています。
もう一つは荷さばきの問題ですね。配送の車など社会経済活動を支えてる荷さばきの車って色々な種類がある。短時間で集配して5分ぐらいで終わる車を毎回駐車場に停めるのは難しい。道路空間をどう使っていくかをあらかじめ設計に入れて、例えば、タイムシェアするかとか、午前中と午後で用途を使い分けて午前は荷さばきスペース、午後は駐輪場やキッチンカーを置くなど仕組みとして組み込むことができたらいいな。
配送はまちに絶対に必要なことなので、それを邪険にせずもっとかっこよく渋谷らしいまちの作り方があるのではないか、それをみんなで目指したらいいなと思っています。
あとは課題解決を短期間で柔軟に取り組む。そして下田くんみたいな人がいっぱい出てきてくれることが一番の課題解決につながるんです。「人」が第一の課題で、大人とは違う視点で考えて「こうなったらいいんじゃない」って言ってくれる若い人がいる。それが大事です。 要は自分事として動いてくれる人がどう育っていくか、それがまちの一番の資産、価値になっていきますよね。
若い人が積極的に地域に関わりたくなるのが理想
最後にお住まいも渋谷区だという須藤さんに今後の地域の課題を伺うと
「役所的な発想ではなくて、若い人が積極的に地域や町会に参加できるコミュニティが育っていくといいと思います。若い人たちはアイデアがいっぱいあると思うので、FDSのプロジェクトやワークショップなんかに下田くんのような若者も一緒に参加したり、アイデアを出してくれても面白いですよね」
須藤さんご自身は、恵比寿地区の清掃活動に参加したり、お子さんが小さい頃は夏祭りなどでたこ焼きを焼いたりしていたそうです。そういった活動を通じて次の世代の子どもたちの地元への愛着にもつながるのかもしれません。
「やらなくちゃいけないとか、順番が回ってきちゃったとかではなくて、やろう! やりたい! ってなってみんなが楽しんでほしいですね。若い人たちが積極的に関わっていく、もう理想的ですよね」
と話してくださった須藤さんはなんと、今年69歳と伺ってびっくり! なんとお孫さんが4人いらっしゃるそうです。今回は時間が足りず伺えなかった昔の話や、これからの「まち」の課題など、もっとお話を聞きたくなりました。
◾️須藤憲郎 略歴
渋谷区土木部において道路空間の再配分による歩行者空間整備、橋梁・公園の計画・設計・管理。都市整備部では、地域まちづくり、渋谷駅周辺整備に関わる都市計画、まちづくり指針策定、景観調整組織・エリアマネジメント組織組成などに従事。2017年渋谷未来デザイン準備室長。2018-2019事務局長。趣味はアート・音楽全般。
◾️一般社団法人渋谷未来デザイン
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