渋谷駅から明治通りを原宿方面に歩いて10分、オシャレなアパレルショップやカフェに囲まれたオフィスビルの1階にある、ディスプレイや屋外広告などの制作を行う株式会社 光伸プランニング。原壯さんは創業者である父親から会社を引き継いで、恵比寿から今の場所に移転をした2代目です。
会社のホームページを見ると、平面や立体への印刷、さまざまな素材の加工、3Dプリンティングなど、色々なものづくりが可能になる設備を保有している光伸プランニング(保有する設備について興味のある方はこちらのブログをお読みください!)。
神宮前というアクセスの良い立地を活かし、さまざまな「つくりたい」というニーズに応える都市型工房を目指しているという原さんにその真意をうかがってみました。
ものづくりの可能性への挑戦からスタート
今や2代目として会社を引っ張る原さんですが、新卒で入社したのは大手印刷会社の大日本印刷株式会社。就職氷河期といわれた時代にもかかわらず、同期が400人はいたというから会社の規模を窺い知ることができます。
「会社の規模が大きいため、仕事が細分化されて業務全体を個人で把握するのが難しかったんです。自分の関わった制作物が誰に届くのかが見える仕事をしたいと思っていたタイミングで、父の体調が悪くなり家業を継ぐ決断をしました」
光伸プランニングは原さんの父親である先代、原俊彦さんが1981年に創業した会社。サインやディスプレイの企画・制作・施工を行っていく中で、2005年にはいち早くUVインクジェットプリンターを導入したそうです。版の製作が不要で立体面への印刷が可能という利点を活かし、ミュージアムショップなどで売られるようなお皿や小物への印刷を小ロットで受けることが可能になり、短い納期での作業ができるため、業務内容がさらに広がりました。様々なプロダクトが出来上がる中、原さんはもっと面白い仕事のやり方があるのではないかと考えるようになり、新しい取り組みにも積極的に挑戦するようになったといいます。
「2001年に父の会社に入社してから、試行錯誤しつつ2011年〜2019年ごろまでMONOPURI(モノプリ)という自社プロダクトブランドを展開していたんです。知り合いになったデザイナーの協力のもと、立体のデザイナーと平面のデザイナーそれぞれにアイデアを出してもらい、掛け合わせてプロダクトを制作するという試みでした。実験的な商品が沢山誕生したのですが、PANAMAというポーチのシリーズは今も青山のスパイラルガーデンなど、雑貨店で販売されています。
当時、印刷会社がアイデア出しから商品化、そして店頭でPOP UPを行い、販路に乗せるまで一貫して行った、ということにとても驚かれました」
光伸プランニングは2年前に大型の3Dプリンターを導入したことで、さらなる可能性を模索しています。取材に伺った日も慶応義塾大学の学生たちが工房を訪れていました。物体の表面に着色するのではなく、3Dプリンターを使用し色を積み重ねていく “積彩” によって立体作品やプロダクトの開発を行っていくという研究を続けており、今後は法人化を視野に入れているそうです。
人の出入りが増えたことで渋谷と深く関わることに
会社を引き継いだ後、自社プロダクトへの挑戦や立体的なウィンドウディスプレイといった幅広い業務に挑戦する中、原さんは約6年前に恵比寿から神宮前へ会社を移転しました。
「平面の印刷物メインの業務だった頃は、社内で大判の出力をしてそれを現場へ搬入・設置をするというのが主な仕事でした。でも立体の制作物を作るようになったら、作業時の音がうるさいと近隣からクレームが出るようになり、移転をすることに。どこへいく?となった時に当然広さを求めて郊外へも目を向けたんです。でも、散々悩んで、現場に近くて身軽に動ける都心の便利さを優先することにしました。今の場所はかなり背伸びをした物件だったので裏では『あいつ大丈夫か?』って父も心配していたそうです(笑)」
渋谷と原宿の間、明治通り沿いで広さもそれまでの1.5倍になり、当然家賃も高額になったけれど、決断が功を奏しました。
「結果として青山周辺のアパレルやデザイン事務所とのつながりが強くなったんです。試作のチェックや納品前の検品をする際、現場もクラアントの会社も近いため工房に足を運んでくれるようになったんです。結果として人の出入りが増え、人から人にどんどん繋がっていくようになりました。神宮前周辺、青山周辺といった地元とのつながりも強くなり、せっかくならオープンファクトリーとして会社を開いて、場所の価値を最大限に利用しようと考えるようになったんです。
どうしたらもっと地元である渋谷区と繋がれるかを模索していたときに、渋谷のまちづくりプロジェクトの『渋谷をつなげる30人』という活動を知り、参加しました。仕事以外のつながりも増え、外へ向けての活動としてワークショップを行うことも。7月にも職業体験の場として地元の中学生を受け入れたばかりです」
クライアントとのやりとりは営業担当が行うため、社内で作業をする社員は外と繋がる機会がほとんどありませんでした。都市型工房としてオープンにしたことで外部から人が訪れるようになり、制作物を面白がってくれることがモチベーションアップに繋がっているといいます。
「会社の資金源になるような大きな仕事は皆でやります。それぞれ担当業務はありますが、やることをやったら会社の設備を使って自分のプロジェクトや知り合いのための活動をしています。そうすることで、実験や工夫を繰り返して成長につながっていくので、とにかく動いていると何かに当たるというのが僕の信条です」
オープンファクトリーの先にあった相乗効果
「僕自身は手先がすごく不器用なんです。
父のようなカリスマ性はないし、新しい事業を立ち上げるような情熱もそんなに強くはない。ラッキーなことに経済的にいい状態で会社を引き継いだので、働いてくれている皆をサポートしていくことに注力してきています。創業から40年経って、業績が衰退してくるパターンもあるかもしれないけれど、ありがたいことに前進し続けられている。
今は若い人たちのために時間とお金、場所や技術を投資していくタイミングだと考えています。
若者のためのものづくりプラットフォームを整えていきたいんです」
引き継いだものを広げてオープンにする。
若者にどんどん挑戦してみることを勧める。
否定的にならずに見守るように心がけることでお互い認め合い、それぞれの挑戦を面白がることができるくらい社内の風通しがいいことが伝わってきます。
そんな社風からか、社内の作業スペースには社員による手作りの収納が工夫して設置されています。
「全部社員が作ってくれるんです。口を出さずに任せたほうがカッコいいものが出来上がってくるんですよね」
設備と、40年培ってきたノウハウ、技術、場所、そしてアイデア。都市だからこそ生まれる発想と、人とのつながりによるスキルの向上や次世代の成長、そして事業も成長していくというシナジーが生まれていることがわかります。
「最初は会社をオープンにするのは怖かったけれど、一度開いてしまったらもう戻れない(笑)。細かいことは若い人のニュアンスや感覚に任せています。
そのためにも、我々の仕事はお客さまを満足させること、ということは念を押しています。
会社を活用してさまざまな実験や個人の制作物をしてもいいけれど、いつかお客様や社会に還元していく。自由と自立は違うし、そこは履き違えないようにきちっと伝えています」
個々の社員がやりたいことを尊重してくれる原さんの懐の大きさと、さまざまな設備に感動し、もっと若ければ原さんに「雇ってください!」と頼んでいたかもしれません。
そんな原さんは、ものづくりについてまわるゴミの問題や素材の環境負荷を少しでも軽減したいと、再生可能プラスチックの導入など社員と共に試行錯誤を繰り返しているそうです。
新しい取り組みについてまわるジレンマを、その都度乗り越えてきた原さんのオープンファクトリー。今後はどんな進化をしていくのかが楽しみです。
◾️原壯 略歴
大学卒業後、大手印刷会社勤務を経て、屋外広告を専門とするマジックタッチジャパン(株) の設立に参画。銀座4丁目のビルラッピング広告の開発や、世界最大のコミックとしてギネス認定された、adidas Japan社の『SKY COMIC PROJECT』展開に制作担当として関わる。 現在は40年続く (株)光伸プランニングの2代目として、サイン、ディスプレイ、OOH広告の分野で事業を展開中。渋谷区神宮前の工房 (約150坪)に最新鋭のデジタルファブリケーション設備を擁し、モノづくりを通して人と人とをつなぐ「都市型工房」の可能性を日々考えている。
◾️株式会社 光伸プランニング
東京都渋谷区神宮前 6-25-16
いちご神宮前ビル 1F