【新連載】 —見える景色、見えている景色— Vol.01 「水と油のさかいめには、なにがあるの?」

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「水と油のさかいめには、何があるの?」

僕はその幼いころの疑問を、上京した日のスクランブル交差点でふと思い出した。尋ねた相手は父だったかもしれないし、理科の先生だったかもしれない。どんな答えを貰ったかも思い出せないけれど、少なくとも疑問のまま解けなかったさみしさは、引っ越しの段ボールにでも入りこんで来たみたいだ。

なんで植物は動かないの?
なんで虫や鳥さんと話せないの?
なんで夕日より夕焼け雲のほうが眩しいの?
なんで僕は産まれたの?

小さな田舎でそんなたくさんの“なんで”を大人に聞くうち、幼い僕はさみしくなってしまった。水と油のように、僕と僕以外の間にも何か決して交わらない境界があるんだって知った。みんなが幼少期に身につける自他の境界認識というものを、そうやって言葉を使わないと分からないくらい、僕は生まれつき不器用だったみたい。この連載はそんなとある少年が渋谷と出会い、そして現在未来へと続いていくお話。あなたの日常に、ことばの彩りを添えることが出来れば幸い。

子供の力だけでは、答えが欲しくて手を伸ばしてもいつも届かない。届かないと知りながら理想を追いかけるなんて、まさに青春そのもの。それを若いなァって馬鹿にしてしまう大人はやっぱり、寂しかった。きっと、大人になったら届くようになるから、だから未熟な子供を馬鹿にするんだと思っていた。でも違う。届かない夢になど、そもそも手を伸ばさなくなるのが大人だった。このまま成長して夢を諦めて一生歯車のように生きるなんて、どうしても受け入れたくなかった。
だから、大人になんてなりたくない。でも早く、大人になって自由に飛びたい。思春期の荒れた心にはそうやって矛盾がいっぱい絡みついて、手を伸ばしても足を出しても届かない“夢の大都会東京”に思いを馳せた。毎日たくさんの知らない人とすれ違うってだけで夢物語だった。ああ、東京。周りの大人たちだってほとんど行ったことがない、画面と文字の向こうの夢。
修学旅行以降は、一生県外に出ない人ばかりの場所に僕は育った。その小さな鳥かごはたしかに安全で、美しく、かけがえのない愛すべき平凡。でも僕は、もっと自由に手を広げて飛んでみたかった。たとえ危険があっても、仲間が居なくても、地元という狭い鳥かごから飛び出したかった。そうやって育っていたら、ある程度大きくなると “なんで?”って聞くと面倒な人とか嫌な人だと思われるようになってしまった。変な人、普通じゃない人、いじめても、いい人。なんで、なんで。みんなちょっと前まで一緒に考えてくれたのに。大人たちが馬鹿にした子供の疑問を、同世代が馬鹿にするようになるなんて。僕だけが子供のままで、みんなは凄まじい速度で成長して大人へ向かって、他と違う出る杭は簡単に加虐の動機になってしまった。それがとっても、寂しかった。
だってあんなに夕焼けはきれいなのに、こんなに狭いコンクリートのヒビに小さな花が咲いたのに、誰も見向きもしなかった。夢じゃなくて現実を生きる人たちを見て、人の悲しい性を見せつけられて、それでも僕は決して手を伸ばすことは諦めたくなかった。

叶わない夢や理想でも、それをいつまでも追いかけ続けるのは決して無駄じゃない。そう信じたかった。産まれた理由は親が産んだからだけど、生きる意味は僕自身が生まなきゃいけない。僕が僕である理由を、僕が作らなきゃいけない。誰に質問したって解答なんか分かるはずがない。だって僕らは、この命を産んでくれと頼んだわけじゃないんだから。
だから未来は全部、これから作っていく作り話。
なら叶わぬ理想を追い続けるってのを理想にすれば、理想が叶うじゃないかって思った。高校生になっても、僕はそういう子供のままだった。みんなは真面目な顔で地元で就職するって言ったけれど、今行かなきゃもう二度と東京へは行けないかもしれない。実際、周りの大人たちはそうだった。じゃあ、今、第二次性徴期を迎えたこの体なら、本気で手を伸ばしたら届くんじゃないか。そのために必要だったのは勉強で、親のお金で、いじめと己に負けない心。
静かすぎる勉強机に向かいながらどうにも苦しくなった。弱さ未熟さが嫌になって何度も一人で泣いた。夢を追うのがこんなに孤独だとは思わなかった。周りの力がないとこんなにも無力だとは思わなかった。だから人に質問することはいつの間にかやめて、そうやって期待を諦めた。考えを伝えることも諦めたし、周囲が言う「立派な大人」になるのも諦めた。部屋は散らかり、布団から一歩も出られなくなった日々もあった。それでも、手を伸ばすことだけは諦めたくなかった。
生きる理由は未来に、生きる意味は過去に作るしかないんだと言い聞かせた。夢見た未来を嘘にしてしまったら、自分で自分を嘘にしてしまったら、きっと自分のことすら諦めてしまう。その恐ろしさったら無かった。田舎のだだっ広いからっぽの美しい空にすら、胸がぐっと押しつぶされてしまいそうだった。そうして小さい頃から抱えてしまった疑問の数々は時に残酷な現実を突き付けて、小学三年生のある時をきっかけに何度本気で死んでやろうと思ったか分からない。そのたびに思い留まったのは、意外ときれいな田舎街の明かりと地元の景色、画面越しの東京の夜景。東京タワー、六本木ヒルズ、新宿のビル群、そして渋谷の109、タワレコ、スクランブル交差点……空が暗ければ暗いほど、自分が居る場所が暗いほど、星と夜景は明るく輝くもの。幼ければ幼いほど見つけやすかった小さな花みたいに、ありふれた世界の解像度を虎視眈々と磨いていった。

そして遂に、遂に僕は片道切符で東京に降り立った。田園都市線沿いの木造アパートの一室から、荷解きも済んでない引っ越し当日の夜を抜け出した。慣れない券売機でPASMOを作り、十八歳のその時初めて使った。本当に財布を近づけただけで都心への道が開かれた。あんなに遠くて仕方が無かった東京が、こんなにあっさり届くなんて。そこで今立っている場所を考えてようやく、歩んできた道程の長さを知った。気づけばこんなところまで歩いてきた。良かった、無駄じゃなかった。手を伸ばし続けることは、無駄なんかじゃなかった。大人への期待はなぜか苦い思い出ばかりで、そして僕はこれから大人になっていく。じゃあ僕は、もっと面白い大人になりたい。小さい頃の自分に堂々と会えるような人でいたい。その胸の高鳴りは、冷蔵庫の中みたいにぎゅうぎゅうの急行押上行きにも押し潰されなかった。渋谷が、近づく―――


あの時の感動からもう、これを書いている今までに八年が経った。まだ今のパルコもスクランブルスクエアも無かった頃の思い出。サイネージももっと少なかった。二十六歳になった僕はこれから、どんな疑問と発見を育くんでいけるんだろう。こんなに小さな僕の言葉が文字になって他人に届くなんて、思いもよらなかった。邪険にされてばかりだった僕の疑問や発見がこうして形になるなんて、想像すらしていなかった。答えが欲しくて手を伸ばしていたら、いつの間にか掴んでいた未来。そして、掴みたいが故に犠牲にしてしまった数々にもやっと気づくようになった。今まで出会った好きな人や嫌いな人、死んでほしいだなんて思ってしまった人、もっと生きてほしかった人。時には期待を裏切り、時には傷つけ、勝手に期待して傷ついて、数え切れない出会いの中で僕はここまで歩んできた。

初めて降り立った渋谷の街を見た瞬間、それら関わってきた地元の好きも嫌いもひっくるめて全てに、ありがとうを伝えたくなった。痛みも涙も笑いも、全部があったおかげでここにたどり着いた。それが遠くへ来てしまったという一抹の寂しさの正体で、鳥かごを飛び出してきた三月の渋谷は、思ったよりもだいぶ寒かった。
そこでは交差したシマシマが堂々と手を広げ、人や建物を信号機の奥に隔てていた。画面の中のワンシーンみたいにネオンが輝いて、いろんな色の人たちが一人残らず緑色の光を待っていた。僕と街のさかいめにはスクランブル交差点があって、横の外国人とは言語の境界がある。それが信号が変わった瞬間、ぜんぶぜんぶごちゃまぜになった。この日スクランブル交差点でスローモーションに見えた人混みに、あの幼いころの疑問を思い出した。

「水と油のさかいめには何があるの?」

大人に聞いても良く分からなかった疑問が、急に分かった気がした。途端に足が軽くなって霧が晴れた。パッと明るくなった。やっと自分の意志で自分の道を歩こうとして、平凡な毎日を手で掻いて波を立てて東京に飛び込んで、目まぐるしく混ざり合う渋谷には何の境界も無かった。山奥の豊かな湖から、白波の砕ける大海原へ。そこには水と油が分離する隙なんか無かった。夜なのに明るくって、何もかもが新鮮で、人と肩が当たるのさえ嬉しかった。すれ違う、避ける、進む、進む。僕は今、東京を歩いてる。勝手に笑いが込み上げてぜんぶぜんぶキラキラ輝いていた。生まれて初めて羽をめいっぱい広げて、やっと自由になれた気がした。サッカーのユニフォームを着て盛り上がる人たち、真面目な顔で急ぐサラリーマン、おしゃれなお姉さん、手を繋ぐ同性のふたり、外国人、全部同じ場所で混ざり合っていた。すれ違っても誰も僕のことを気に留めないなんて初めてだった。知らないおばあさんに名前を呼ばれるような地元とは、何もかもが違って自由だった。

2017年、3月の末。大都会東京という街にやっと手ぶらで立てた僕は“生きてる”と思った。自由は時に寒い。過保護に面倒を見てくれる人も居ない。靴下やネクタイの色も、帰る時間も、晩ご飯も、全部自分が決めなきゃいけない。だからようやく、僕は生きるということを知った。今まではただ、生かされてきた。やっと、人生が始まる。そんな街で出会う全てはきっと美しい。東京を知れたからこそ、見過ごしてきた地元の魅力にもたくさん気づけた。景色は実際には何一つ変わっちゃいないのに、見方や考え方で全く違う顔を持つもの。だから東京で最初にスクランブルしたのは、子供の僕と大人の僕だったのかもしれない。


僕にとって、渋谷はそういう街。あなたが何気なく通り過ぎるセンター街も、ありふれた道玄坂も、なんてこと無いスペイン坂も、名前のない路地裏も、きっとまだあなたも知らない魅力がたくさんある。一生かけても語り尽くせないこの街の魅力を、僕よりずっと渋谷に詳しい人たちと改めて見つめてみたい。たとえ一輪の花だってその見え方は千差万別。あなたにとって当たり前になってしまった日常だって実は美しい。子供の頃は背伸びしたって大人の高さには届かなかったけど、大人はしゃがめば子供になれるから。大人になって見えなくなってしまった小さな花とか、下らないと思う幼い疑問、ガキっぽいと切り捨てた数々、カッコつけて忘れちゃうのはもったいない。私たちはきっと、もっともっと自由にクリエイティブになれる。

お酒を飲まなくてもくだらない話で大笑い出来たころの感性を、無邪気に夢を語れた心を、もう一度。そんな心でいつもの渋谷を見つめ直してみるのは、どうだろう?

続く

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