
渋谷駅周辺の再開発において、2006年から建築デザインや景観を調整する「デザイン会議」の座長などを務めてる建築家・内藤廣さん(東京大学教授、同大学にて副学長を歴任。2011年〜同大学名誉教授。2023年〜多摩美術大学学長)。この夏、内藤廣さんの展覧会が渋谷と紀尾井町で同時期に開催されていました。
両展覧会に行って感じたのは、どちらとも建築関係者だけでなく、普段は建築の仕事をしていないのではないかと思える人も目立ったこと。特に渋谷ではいわゆる街の人と思われる方などが多かったように思います。
建築の展覧会というと模型と図面、そして専門用語の説明という構成が一般的で、観に来る人は建築関係者か建築学生がメイン。今回の両方の展示会はこれらと全く違った構成なのが理由かもしれません。
私はその2つの展覧会に合計5回行ってみました。そしてどうしても実物の建築を見たくなり、島根県益田市にある「島根県芸術文化センター グラントワ」まで行ってしまいました。今回は展覧会のレポートと、益田市に行って実際に建築と街を見て感じたことをレポートします。
「建築家・内藤廣 赤鬼と青鬼の場外乱闘 in 渋谷」について
◆「建築家・内藤廣 赤鬼と青鬼の場外乱闘 in 渋谷」
開催期間:2025年7月25日(金)〜 8月27日(水)
会場:渋谷ストリームホール

渋谷ストリームで行われていた「建築家・内藤廣 赤鬼と青鬼の場外乱闘 in 渋谷」は、渋谷の商店会の人からの働きかけによって実現したもの。
内藤廣さんが、渋谷の商店会の人たちと一緒にグラントワで行われていた展覧会「建築家・内藤廣 BuiltとUnbuilt 赤鬼と青鬼の果てしなき戦い」(2023年開催)を見に行ったことがきっかけで、この渋谷版を開催しようということになりました。
渋谷の展覧会では、渋谷との益田の街を同スケール、同範囲で模型を展示しているのが印象的でした。


「赤鬼・青鬼」展には、とにかくたくさんの模型が展示されていました。
しかも渋谷に至っては目の前に本物があるというのに。
このことについて、内藤廣さんが以下のようにコメントを書いていました。
「背中から未来に入っていくために」
ふつう、建築家が模型を作るのは、形を考えたり、敷地との相性を見定めたり、そうした試行錯誤をするときだ。案が固まってきたら、それを建主に説明しなければならないので、その時には少しちゃんとした模型を作る。艱難辛苦の末、建物が出来上がるわけだが、現場の途中で検討内容にもう一つ確証がない場合は、その箇所の拡大模型を作ることもある。
ともかく、設計から建物の出来上がりまで、わたしの事務所では模型を作り続ける。多いときは数十、場合によっては五十近くの模型を作ることもある。側から見たら無駄なことだ。場所も手間も時間もかかる。膨大な労力を投下するわけで、まあ、効率の悪いことこの上ない。
そして、展覧会ともなるとさらに模型の数は増えていく。
すでに決着がついたコンペの模型、出来上がった建物の模型、 そんなものはなんの役にも立たない。もしなんらかの意味があるとしたら、振り返りながら未来に向かっているのだ、 と居直るしかない。ただそれだけのために、すでに建っている建物や建たなかった建物の模型は存在する。
誰が言ったか忘れたが、古代ギリシャ人の時間感覚は、過去を見ながら背中から未来に入っていく、と言った人がいたのを思い出した。そう、幾多の模型は、背中から未来に入っていくための道具なのだ。なぜ、大きな模型を作ったか
なぜ益田のホールの巨大な模型を作ったのか、すでに近くに実物があるメトロの駅の模型を作ったのか。なぜ展覧会のために何人もの事務所の所員が時間を費やし、何十人ものアルバイトの手を借りてまでして大きな模型を作ったのか。 直感で動いているから、はじめはわからなかった。いや、 かなり後半までその意味を見出せなかった。失敗したかもしれないとも思った。ところが、模型が組み上がってきて骨格が見えてくると、何かが見えてくるような気がした。
現実に存在する建物、それにはかなりノイズが入ってくる。
そのノイズのバランスと調和の中に、いわゆる建築の空間というものは立ち現れる。そこには、構造、素材、家具、 その他無数のものが介在してくる。それらが空間に「質」 を与える。
ところが、巨大な模型から見えてくる空間からは夾雑物が取り除かれている。「質」が剥ぎ取られている。現実の建物の空間からは読み取りにくくなっているものが排除されている。そこには、当初実現しようと思った空間の「意志」 が立ち現れているのだ。多分、二つの大きな模型、それも覗き込むことができるほどの大きさの模型には、そんなものが潜んでいるはずだ。
展覧会なので、見にきていただいた方とそれを共有したいと思っている。
「赤鬼・青鬼」展は模型とともに、内藤さん自身の中にある二人の鬼「赤鬼・青鬼」、どんな人間にもある二面性、それを赤裸々に晒しています。
内藤さん自身も『赤鬼と青鬼を使い分けるということが建築家の仕事』だと話しています。自分自身を俯瞰し、それを赤鬼と青鬼という2匹の鬼で表現しています。この点が共感されているのではないでしょうか?

「普通なら赤と青が人の心の中でグジャグジャになっているわけだけど、建築家って奴はそれを分別ゴミみたいに分けて、そして飼い慣らして、建物を考えたり作ったりする局面でうまいこと使い分ける」
「建築家・内藤廣 なんでも手帳と思考のスケッチ in 紀尾井清堂」について
◆「建築家・内藤廣 なんでも手帳と思考のスケッチ in 紀尾井清堂」
開催期間:2025年7月1日(火)〜 9月30日(火)
会場:倫理研究所 紀尾井清堂(東京都千代田区)

「手帳と思考のスケッチ」展は、内藤廣さんご自身が手帳に描いた大量のスケッチが展示されていました。
『手を動かしてスケッチを描くのは、その瞬間の自分を記憶に留めるためだ。』とあります。展示されていたので一番古いのは1975年のもの。当時25歳、早稲田大学の大学院在学中で、フェルナンド・イゲーラスに出会っていた頃。その頃から現代まで時系列でスケッチが展示されています。
展示会の説明には以下のように書かれていました。
手を動かしてスケッチを描くのは、その瞬間の自分を記憶に留めるためだ。目で覚える。目で覚えれば忘れない。
たとえば、もう半世紀も前に旅したアフガニスタンの高原砂漠の風景を、今ここに呼び出すこともできる。若い頃に描いた「海の博物館」の収蔵庫のスケッチを召喚することもできる。さらには、呼び出すことによって、描いた時の気分やその場の空気まで蘇らせることもできる。
人間の脳というのは不思議な装置だ。その時の気分や空気まで再現することのできるこの仕組みには、AIも量子コンピューターも手が出せない。スケッチはスキャンしていくらでもデーター化できるが、その背後にあるわたしの情緒は、 わたし自身の脳の回路を経てしか再現できないからだ。
2つの展覧会を観て、「赤鬼・青鬼」という2匹の鬼で自分の内面性を表現することと、スケッチを描く行為に、何か共通点を感じました。
内藤廣さんのことをもっと知りたくなって、書籍をたくさん読み漁りました。
どの書籍にも共通して言えるのが、建築に対する内藤廣さんの姿勢を赤裸々に書いているということ。内藤廣さんのことを知れば知るほど、実際に建物を、それが建てられている街を体感してみたくなりました。
ということで、「島根県芸術文化センター グラントワ」を巡る1泊2日の旅。展覧会と書籍を通して感じたことの答え合わせでもあり、新たな発見を目指して行ってきました。
島根県 岩見地方、益田市について
益田市があるのは島根県の西部、石見地方。令制国(旧国名)でいうと石見国。島根県東部の出雲国と合わせて現在の島根県になっています。
石見国は石州(せきしゅう)とも呼ばれ、この地域の建物には特産である石州瓦が多く使われています。
益田駅までは石見空港からバスで15分程度。こちらが駅前の様子。
益田駅は鳥取方面と長門方面に向かう山陰本線(1時間に1〜2便)と山口方面に向かう山口線(2時間に1本程度)が通っており、駅前再開発ビルや、今回の目的地であるグラントワに続く道路も整備されています。

駅前の一本裏の道に入ると「新天街(しんてんがい)」という街並みがありました。益田市における夜の娯楽・飲食街として、200メートルほどの2つの路地に、80軒以上の飲食店などが密集しています。

益田市には「日本一行くべき居酒屋」という田吾作というお店があるらしいが、そのお目当てのお店は予約でいっぱいでしたので、ふらりと入った居酒屋「与作」へ。結婚52年という夫婦が40年間切り盛りしているアットホームなお店でした。

グラントワにいく途中にも石州瓦を使用した建物をたくさん見ました。
石州瓦の特徴は、赤褐色の色。鉄分を含んだ釉薬をしようするのでこの色が出るらしい。石見地方の風景はこの石州瓦の赤褐色をよく見ます。

グラントワに到着

益田駅から徒歩15分程度。益田川沿いに走る通りに面して入口があります。建物の前は小高い土手になっているのではやる気持ちを抑えて全景を見てみます。
竣工して20年が経つが街の風景として溶け混んでいるように見えます。
「赤鬼青鬼」にも書かれていましたが、近くに住む人にも昔から建っていたような気がするという言葉をもらったそうです。
(青鬼)はいはい。オープンのとき、近くに住むオバサン、失礼、ご婦人に、なんか不思議な気分なんだけど、といわれた。昔ら建っていたような気がする、といわれたときは嬉しかったなぁ。これも最高の褒め言葉だよね。
素材の色の変化を一日を通して体感してみる
外壁に使われている石州瓦と、回廊などの廊下に使われている花梨の、一日での色の変化が素晴らしいと聞いていたので、二日に渡って色の変化を楽しみました。









渋谷と益田を比較して感じたこと
以上、渋谷で「赤鬼・青鬼」展がきっかけで急遽訪れた1泊2日の石見・益田への旅。
渋谷の展覧会で流れていたビデオ「日曜美術館」の中で、内藤廣さんは『渋谷と益田、五台山(高知・牧野富太郎)が似ている』と話していた。それは、植物、生物の多様性、人の多様性について。今回2つの街を同縮尺、同範囲で対比することによって、どのような相違点と共通点を表現しようとしたのか?
私が感じた渋谷との益田の街を比較してまとめにしたい。
まずは「都市機能」について。

渋谷(都市)
- 人口密度は高く、若者や外国人も多い
- 多様性のある街
- 経済は商業・サービス・IT・文化産業が中心
- オフィス、商業施設、住宅が混在
- 渋谷川沿いの「谷地」に集落が形成→渋谷村に
- 江戸時代には農村的な景観が広がっていたが、明治時代に入り鉄道(山手線、玉電など)の発達で住宅地・商業地化が進んだ
- 1923年の関東大震災で被害の激しかった浅草などの下町から、被害の少なかった山手へ移り、「道玄坂」には、震災で被災した下町の有名店などを誘致して名店街「百軒店」などができた
益田(農村的要素を含む地方都市)
- 古代から日本海沿岸の交通・交易の結節点として機能
- 万葉集にも書かれた柿本人麻呂(飛鳥~奈良時代の歌人)は縁の地である益田で歌を詠んだ
- 中世には益田氏が石見地方を支配し、城下町を形成、「交易と文化の要衝」としての発展
- 江戸時代以降は日本海交易は減少し農業を中心とした地域内経済が中心
- 山陰本線(益田駅、1923年開業)によって鉄道交通が確立し、駅前の商業地(新天街など)も発展
- 近年は、人口減少傾向で高齢化率が高い
- 産業は農林水産業と地域の中小企業
- 土地利用は低密度で、山・川・海と自然環境に囲まれ、農地・集落が点在
以上から、渋谷も益田も同様に「都市」であって、なんらかの要因(地形などの自然的要因や城下町や鉄道といった人文的要因)で一定の時間をかけて「集落」ができて都市として発展した。
続いて人口過密である「都心」と人口が少ない「過疎」という視点について

渋谷(都心)
- 交通・経済・情報の結節点でありトレンドの発信地
- 住宅の高騰やコミュニティ希薄化といった課題も
- 「人が集まりすぎること」への対応が都市計画の焦点
益田(過疎)
- 中心市街地はあるものの、山間部や沿岸部の集落は人口減少と空き家の増加が深刻
- 公共交通が縮小し、車依存が進む
- 「人が減りすぎること」への対応が最大の課題。
以上から渋谷と益田を比較すると、以下のようにまとめられる。

- 渋谷:集積・流動・発信を特徴とする都市。
- 益田:分散・持続・共同を特徴とする農村的都市。
こうやって渋谷と益田を対比することで日本の都市の構造が見えてきました。
この対極的な社会の流れを大局的に捉え、さらに地球規模で捉えたときに、この渋谷という街で全国・世界の都市と繋がりながら、どのような時間軸でどのような関係をつくっていくのか、今後の地域共創に活かしていきたいと考えます。











